家庭教師の悲劇

「同じ問題なのにもう少し点数がとれないものでしょうか。8割でしょう。100点に近いと思っていました。」

私がここの家庭教師をすることになったのは、勿論家庭教師センターの紹介なのだが、この家庭の父親の出身大学が、私と同じであったということが1番の原因であったらしい。

その大学の付属中3年の家庭教師をするようにと依頼された。

どうやら父親と子供の血はつながっていないらしく、母方の家に新しい父親が入ってきた、という所か。実の父親がどうなったのか、離婚して家を出されたのか、普通は母親が出されるのだろうが、あるいは、死別なのか、そういったことは知らなかったが、男の子の方も父親には気をかなり使っているのは明らかだった。

「E石油の社長をさせて頂いてます。」と名詞を渡され、よろしくおねがいします、と挨拶したのをよく覚えている。

ガソリンスタンドの社長でも偉いんだなあと率直に思ったが、その家を見るとかなりな、お金持ちという感じがした。敷地は広く、玄関までの間に大きな樫木が聳え立っていた。

母親はいかにもお金持ちの上品な振る舞いと口調で、私は世界が違うような所での家庭教師が見つかり、金銭面での心配は当分しなくても良いと内心感じていた。

母親の息子のことには目がなく、何とか附属の高校に入ってもらわなければという気持ちは強く感じた。

大学の付属中から附属高校まで全員が行けることはなく、ある一定の番数が必要だったと記憶している。その子の成績は中の下という所でぎりぎり上がれるかどうかという位置にあった。

なんとしても2学期の成績で番数を上げなければ、という訳で、家庭教師センターに依頼されたのだろう。その子は勉強は嫌いだが、付属の高校にはぜひ行かなければならない、今の言葉で言うと「やばい」ことになると感じていて、それなりに勉強にはついてきた。

大学の付属中に入るだけの頭があるのだから、理解力はあり、後はやる気次第だと感じていた。

ある日、机の上に英語のプリントが置いてあり、「これはテストの対策プリントです。音楽の先生が知り合いで、英語の先生から特別作ってもらいました。」と母親はにこやかに言った。

頑張っていい点取るのよ、というような表情だった。その時間はその問題を全部解き終わり授業は終わった。うなぎの弁当が最後に出て得したような気がしてアパートに帰った。

テストが終わり、「結果はどうだった。」と本人に聞いたが、彼は何も言わない。机の上にはテストの答案用紙があった。80点だった。

まあまあじゃないかと思ったが、テストを見て声が出なかった。あの対策プリントと同一問題だ。テストの問題は事前に買収されていたのだ。

それに関わっていたのは、その学校の先生、多分親の言うことをそのまま信じるならば、音楽の先生、勿論英語の先生も関わっているはずだ。

そして、恐らく問題をテストが行われる前に事前にお金で買った、いや買うことが出来たその家庭だ。

「80点か。もう少し取れただろう。」私は無言のその子に声をやっとかけたが、彼は、あんまり点数が高すぎると怪しまれるじゃん。」と言った。本人の方がよく分かっている。

いつもは出来ないのに今回は満点?その子の中では何か不正が行われたこと、それにどう対処したらよいかは分からないといった風だったが、このような世界に対して平然と対処していた。

親に対する怒りもなかった。親は自分のためにやってくれたという感謝の気持ちが見え隠れした。素直に喜べないにしても。

その帰り、母親から言われたのが冒頭で書いた部分である。父親と母親は何とかならなかったのかという非難の目で私が出て行くのを見送った。

私は呆然と、こんなことがあってもいいのか、もうここは辞めようと思いながら帰った。しかし、その手間を取る必要はなかった。家庭教師センターから翌日電話があり、講師を変えたいとのことです、もう行く必要はありませんよと、迷惑そうに言われた。

証拠が残ると大変だからな、と私は思った。これで、もうあそこの家とは切れると思い、収入源が減ってがっかりする所だが、正直ほっとした。

しかし、どうすることも出来ない怒りが残り、マスコミに売ってやろうかとも考えたが、それも止めた。

新大久保の家庭教師センターに行きそのことを話したが、「よくあることですよ。」と何も驚くこともなく平然と言われ、自分はこんなことも知らない子供なのかと思った程だ。

そのセンターからの紹介は当然途切れ、恐らくかなりの苦情を言われたのだろうと察するが、別な家庭教師も見つかり、もう思い出したくもないこととなり、考えないようにした。

それから何年目だろうか?恐らく2年後、電車の中で「先生、先生」と呼ばれ、その時はまだ学生だった私は、振り返るとあの彼の姿があった。

中3の彼から高2の彼に成長している。背も伸び、子供っぽさも完全に抜けていた。学ランで、第1ボタンを外してはいたが普通の高校生になっていた。

「先生、おれ今、すごく馬鹿なんだよね」附属高校には上がれはしたが、勉強の方は芳しくなさそうなのがすぐに分かった。来年の受験頑張れよ、というと、無理無理、と屈託なく笑った。

今、あの子はどうしているだろうか。大学には上がれたのだろうか。

今彼は、40歳を目前としているくらいの年齢になっている。

彼も今頃は社長としてやっているのだろうか。結婚して子供が出来て、子供の試験問題を事前に手に入れることを。悪びれずできる大人になっているのだろうか。

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竹 慎一郎

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