万葉集はSNSだった?歌で読み解く万葉人のコミュニケーションと大伴家の暮らし

万葉集
万葉集入門 第1回
万葉集はSNSだった?
歌で読み解く万葉人のコミュニケーションと大伴家の暮らし

歌は、万葉の時代の人々にとってコミュニケーションの道具でした。いまでいえば、SNSのような存在です。

日々の出来事や、心に残った瞬間の写真をSNSに投稿するように、万葉人は歌を詠み、自分の思いや感動を誰かと分かち合っていました。

この記事では、日本最古の歌集『万葉集』をSNSにたとえながら、1300年前の人々の暮らしと心の動き、そして現代にも通じる面白さをやさしく解説します。大伴家持(おおとものやかもち)の一家が歌を交わし合う、あたたかな家族の日常にも注目していきます。

目次

万葉集とは?日本最古の歌集をやさしく解説

万葉集は、奈良時代の後半、8世紀ごろにまとめられた日本最古の歌集です。全20巻、約4,500首もの歌が収められています。

最大の特徴は、作者の幅広さにあります。天皇や皇族、貴族はもちろん、地方の農民や、遠い任地へ向かう防人(さきもり)の歌まで、さまざまな身分の人の声が並んでいます。しかもその多くは、立派な文学作品として書かれたものではなく、暮らしの中で自然に生まれた歌でした。

まずは基本情報を表で確認しておきましょう。

項目内容
巻数・歌数全20巻、約4,500首
成立時期奈良時代後半(8世紀ごろ)
編者大伴家持が深く関わったと考えられている
歌の形式短歌・長歌・旋頭歌(せどうか)など
作者天皇・貴族から、防人や東国の農民まで
表記漢字の音と訓を借りた万葉仮名

万葉人にとって歌は「コミュニケーションの道具」だった

現代の私たちは、気持ちを伝えたいとき、メッセージを送ったり、写真つきで投稿したりします。万葉の時代には、その役目を歌が担っていました。

うれしいこと、さびしいこと、旅先で見た景色、遠くにいる家族への思い。心が動いた瞬間を五・七・五・七・七のかたちにして、相手に贈ります。歌を受け取った人は、それに応える歌を返しました。

31音という「文字数制限」が生む工夫

万葉集の歌の大半は短歌、つまり五・七・五・七・七の31音です。短い言葉の中に、見たもの、感じたこと、相手への気持ちをぎゅっと凝縮する点は、文字数に限りのあるSNSの投稿とよく似ています。

限られた言葉だからこそ、季節の景色に気持ちを重ねるといった工夫が生まれました。言い切らずに余白を残すことで、読む人の想像力にゆだねる効果もあります。

返歌は「リプライ」、感嘆は「いいね」

歌を贈られた人は、お返事として歌を詠みます。これを返歌(へんか)といい、まさにSNSのリプライのようなやり取りでした。

相手の歌の言葉をあえて取り入れて返したり、からかい半分に切り返したりと、やり取りには遊び心もありました。歌の巧みさに感心する気持ちは、現代の「いいね」にあたるのかもしれません。

なぜ万葉人は「歌」で気持ちを伝えたのか

理由のひとつは、言葉そのものに力が宿ると信じられていたことです。万葉集には、日本を「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」と呼ぶ歌があり(山上憶良の歌)、言葉に霊力があるという考え方がうかがえます。大切な思いは、ふつうの会話よりも、整った歌のかたちで伝えるほうがふさわしいと考えられたのです。

もうひとつは、離れた相手に気持ちを届ける手段が限られていたことです。電話もメールもない時代、遠くの家族や友人には、使いの人に託して手紙や歌を届けました。歌は、短くて覚えやすく、気持ちを伝えやすい、とても便利な表現手段だったのです。

万葉集とSNS、どこが似ている?比較表

万葉の歌の世界とSNSの共通点を、表にまとめてみました。

項目万葉の歌現代のSNS
投稿内容日々の出来事・景色・思い日常の写真・ひとこと
文字数短歌は31音文字数制限のある投稿
返信返歌(へんか)リプライ・コメント
共有の場宴・家族や友人との贈答タイムライン・グループ
添え書き題詞(だいし)・左注(さちゅう)キャプション・ハッシュタグ
記録歌集として編纂アーカイブ・保存

万葉集には、歌のはじめに「いつ・どこで・誰が詠んだか」を記した題詞や、歌のあとに補足を加える左注がついているものがあります。投稿に添えるキャプションのようなものといえるでしょう。

額田王と大海人皇子 野辺で交わされた軽やかなやり取り

万葉集を代表する歌のやり取りに、額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのみこ)の贈答歌があります。

天智天皇が蒲生野(がもうの)で遊猟を催したときのこと。額田王は、次のように詠みました。

あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る

「紫草の野を行き、立ち入り禁止の野を行く私たちを、野の番人は見ていないでしょうか。あなたが袖を振っていますよ」という意味です。

これに対して大海人皇子は、「紫草のように美しいあなたを憎いと思うなら、人妻と知りながら恋い慕うでしょうか」という趣旨の歌で応えました。

宴の席で、多くの人の前で交わされた軽やかなやり取りだったと考えられています。歌が、人と人との関係を動かし、場を盛り上げる道具だったことがよく分かります。

大伴家の暮らしを歌から読む 家持と家族のやり取り

万葉集には、貴族・大伴家の家族の日常も、歌を通してくわしく記録されています。公卿(くぎょう)を出す名門である大伴家では、秋になると、家族が二つの場所に分かれて暮らしていました。

ひとつは都(平城京)です。ここでは、大伴家持が役人として働いていました。もうひとつは、一族の荘園(田荘)です。ここでは、家族が田の稲の収穫を見守っていました。

離ればなれになった家族は、どのように近況を伝え合ったのでしょうか。その手段が、歌でした。まずは登場人物を整理しておきます。

人物大伴家での立場歌の中での姿
大伴家持大伴旅人の子。のちに万葉集の編纂に関わる都で勤務しながら、家族と歌を交わす
大伴坂上郎女家持の叔母。万葉集を代表する女性歌人荘園に出向き、家族へ歌を贈る
坂上大嬢坂上郎女の娘。のちに家持の妻となる母や家持と歌を贈り合う

都で働く家持

家持は、役人として都で仕事に励んでいました。収穫の季節に、家を離れた家族へ思いをはせる気持ちは、単身赴任で家族と離れて暮らす現代の人にも通じるものがあるでしょう。

荘園で収穫を見守る家族

当時の貴族にとって、荘園の収穫は暮らしを支える大切な仕事でした。大伴家の荘園は、竹田(たけだ)や跡見(とみ)などにあり、家族の誰かが現地に出向いて、稲の実りを見守りました。

近況報告とねぎらいの歌

たとえば坂上郎女は、竹田の荘から娘の大嬢へ、次のような歌を贈っています。

うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の
間なく時なし 我が恋ふらくは

竹田の原で鳴く鶴の声が絶え間なく響くように、あなたを恋しく思う気持ちにも、とぎれるときがありません、という意味です。

離れて暮らす娘への愛情が、素直に表れています。荘園の原野や鶴の声といった目の前の景色が、そのまま歌に取り込まれている点も印象的です。現地の風景を添えて、近況を知らせる投稿のようにも読めます。

歌を受け取った側も、返歌で応えました。互いの様子を知らせ、相手の苦労をいたわる。歌は、家族の絆をつなぐ連絡手段でもあったのです。

相聞とは?「消息を問い交わす」歌

万葉集の歌は、大きく三つの部立(ぶだて、分類)に分けられます。そのひとつが「相聞(そうもん)」です。

相聞は、もともと「互いに消息を問い交わす」ことを意味します。恋の歌だけでなく、家族や友人どうしが安否を気づかう歌も含まれます。大伴家の歌のやり取りも、この相聞にあたります。

部立内容SNSにたとえると
雑歌(ぞうか)宮廷行事・宴・旅など公の場の歌イベントや旅の実況投稿
相聞(そうもん)恋人・家族・友人と交わす歌ダイレクトメッセージ
挽歌(ばんか)亡き人を悼む歌追悼のメッセージ

宴や役所でも歌は交わされた 梅花の宴と家持・池主

歌のやり取りは、家族の間だけではありません。天平2年(730年)、大宰府にあった大伴旅人(家持の父)の邸で「梅花の宴」が開かれ、集まった人々が梅を題材に32首の歌を詠みました。その序文にある「初春の令月」の言葉は、元号「令和」の典拠としても知られています。

また、家持は越中国(いまの富山県)に国守として赴任した時期、同じ役所の大伴池主(おおとものいけぬし)と、手紙に歌や漢詩文を添えて贈り合いました。仕事仲間や友人との間でも、歌は気持ちをつなぐ大切な手段だったのです。

名もなき人々の声 防人歌に見る家族への思い

万葉集の魅力は、身分の高い人だけの歌集ではないところにあります。

東国から九州の守りにつく防人に選ばれた人々は、旅立ちの別れや家族への思いを歌にしました。たとえば、次のような歌があります。

韓衣 裾に取りつき 泣く子らを
置きてぞ来ぬや 母なしにして

裾にすがって泣く幼い子どもたちを、母親もいない家に置いてきてしまった、と悔やむ父の歌です。飾らない言葉だからこそ、1300年の時を経ても胸を打ちます。

誰もが日常や思いを投稿できるSNSのように、万葉集には、さまざまな立場の人々の声が集まっています。

万葉集のよくある質問

質問答え
万葉集には歌がいくつある?全20巻に、約4,500首が収められています。
万葉集を編んだのは誰?大伴家持が深く関わったと考えられています。
「相聞」とは?互いに消息を問い交わす歌。恋人だけでなく、家族や友人との歌も含みます。
読みはじめにおすすめの歌は?場面が分かりやすい、額田王と大海人皇子のやり取りや、坂上郎女の歌などがおすすめです。

まとめ 現代にも通じる万葉集の面白さ

万葉人にとって歌は、気持ちを届け、相手との関係を結び、日々の暮らしを記録する手段でした。家族への近況報告、離れて暮らす人へのねぎらい、宴での軽やかな掛け合い。どれも、私たちがSNSやメッセージで行っていることと、驚くほど重なります。

技術は変わっても、「誰かに伝えたい」「分かち合いたい」という気持ちは変わりません。万葉集を読むことは、1300年前の人々のタイムラインをのぞくようなものです。

まずは気になる一首から、声に出して読んでみてください。大伴家の家族の歌をたどっていくと、万葉集がぐっと身近に感じられるはずです。

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竹 慎一郎

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