李白 ― 「詩仙」と呼ばれた男、酒と月に生きた放浪の天才詩人

李白

李白 ― 「詩仙」と呼ばれた男

唐代を生きた、酒と月と自由を愛した放浪の天才詩人

中国文学史において、ただ一人「仙」の一字を冠されて呼ばれた詩人がいる。李白(701〜762)である。杜甫と並び称される唐代最大の詩人でありながら、その評価のされ方は杜甫とは根本的に異なっていた。杜甫が「詩聖」、すなわち詩の世界の聖人として仰がれたのに対し、李白は「詩仙」、つまり人間界を超えた存在として神格化されたのである。長らく中国文学において半ば神のような地位を占め続けてきたこの人物は、いったいどのような人生を歩んだのだろうか。

目次

科挙を受けられなかった天才

李白は蜀(現在の四川省)の裕福な商人の家に生まれたとされる。幼いころから学問に秀で、詩文の才能も並外れていたと伝えられるが、唐代の科挙制度は商人階層の子弟に受験資格を与えていなかった。学問の力量では誰にも劣らないにもかかわらず、正規の道を通って世に出ることが最初から閉ざされていたのである。この出自の制約は、後の李白の生き方そのものを決定づけることになった。

放浪と道教への傾倒

出世の正規ルートを絶たれた李白は、十代後半から二十代にかけて蜀の各地を放浪し、道士たちと山中で暮らすなど、俗世を離れた気ままな生活を送った。724年、24歳のときに父から旅費を受け取り、諸国漫遊の旅へと出発する。これは単なる放浪志向の発露であると同時に、科挙以外の方法で身を立てる糸口を探る旅でもあった。

諸国漫遊と結婚

各地を遍歴すること三年、李白は江南の安陸(現在の湖北省)で、かつて宰相を務めた許家の孫娘と結婚する。しかしこの結婚は出世の足がかりとはならず、その後も李白は各地を旅し続けた。生涯の大半を、特定の土地に根を下ろさない漂泊のうちに過ごしたのが、この詩人の際立った特徴である。

玄宗の宮廷へ ― 「謫仙人」の称賛と挫折

742年、友人の道士の推薦により、李白に思いがけない転機が訪れる。玄宗皇帝に召し出され、翰林供奉という文官の地位を得たのである。都・長安に上った李白は「謫仙人」――天上界から人間界に流された仙人――と称賛され、大きな注目を集めた。皇帝と楊貴妃の宴で即興の詩を作った逸話も、この時期のものとして語り継がれている。

だが李白の栄華は長くは続かなかった。宮廷を取り巻く人々の俗物ぶりに失望し、酔った勢いで玄宗が寵愛する宦官・高力士に靴を脱がせるなど、傍若無人な振る舞いを重ねた末に、宮廷を去ることになる。玄宗のもとに仕えたのは、わずか一年数か月に過ぎなかった。

杜甫との出会いと安史の乱

宮廷を去った李白は、洛陽でまだ無名だった若き詩人・杜甫と出会い、しばし交遊を深めた。この二人の出会いは、後に中国文学史上最高の詩人同士の邂逅として語り継がれることになる。その後、李白は再び各地を放浪する生活に戻った。

755年、安史の乱が勃発すると、李白は野心を抱く永王・李璘に招かれてその幕僚となる。しかし永王の挙兵は朝廷への反逆とみなされ、李白も連座して投獄され、のちに流罪に処せられた。恩赦によって刑を免れたのちも各地を放浪し、762年、親族を頼っていた当塗(現在の安徽省)でその生涯を閉じた。

李白の代表作

作品名特徴
蜀道難故郷・蜀に至る道の険しさを、雄大なスケールで詠んだ楽府詩
将進酒酒を勧める体裁を借り、人生の儚さと自由への渇望を豪放に歌い上げた代表作
望廬山瀑布廬山の滝を眺めて受けた感動を、雄大な自然描写で表現した七言絶句
静夜思望郷の思いを静かに詠んだ五言絶句。中国で最も広く暗誦される詩の一つ
早発白帝城流罪からの恩赦を受けた際に詠まれたとされる、軽やかな躍動感に満ちた一首
月下独酌月と自分の影を相手に一人酒を酌み交わす、飄逸で超俗的な境地を描いた詩

詩風の特徴

李白の詩は、漢魏六朝以来の中国詩歌の伝統を集大成したものと評される。「蜀道難」「将進酒」に見られるダイナミックで豪放な作風、「静夜思」に見られる清澄で繊細な世界、そして「月下独酌」に見られる飄逸で超俗的な雰囲気――その内容は多彩を極めるが、総じて変幻自在で鮮烈な印象を残す点に特徴がある。とりわけ絶句と楽府、なかでも七言絶句を得意とした。

なぜ「神」の地位を得たのか

李白がこれほど長く神格化されてきた背景には、いくつかの要素が重なっている。第一に、科挙という制度の外側で生きざるを得なかった出自が、かえって権威に縛られない自由奔放な生き方を生んだこと。第二に、酒・月・自然を愛し、道教的な幻想を作品に織り込んだその詩風が、俗世を超越した「仙人」のイメージと重なったこと。第三に、杜甫が同時代人として李白を「飲中八仙歌」などで称賛し、その伝説化に一役買ったことである。

杜甫が地道な人生の苦しみを詩に昇華し「詩聖」と呼ばれたのに対し、李白は人間離れした才気と奔放さゆえに「詩仙」と呼ばれた。この対照こそが、中国文学における二大詩人の位置づけを今日まで決定づけている。

おわりに

科挙という王道を閉ざされたことが、かえって李白を放浪と自由の詩人に育て上げた。宮廷での栄華もわずか一年余りで手放し、酒と月を友として各地を漂泊し続けたその生涯は、詩そのものよりも先に、一つの生き方として後世を魅了し続けている。中国文学において李白が長らく「神」の地位にあり続けたのは、彼の詩の技巧だけでなく、その人生そのものが人々の憧れを体現していたからだろう。

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竹 慎一郎

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