クエンティンの最後の授業

クエンティンは、高校に派遣されたALTで4年の任期を終え、8月にアメリカに帰国することになっていた。

23歳のアメリカ人だ。帰国前にかなり神経質になって、体調を壊したり、杉のアレルギーが過剰に出たりして、授業はあまり出来ない状態だった。

クエンティンが体調不良の場合は、私が1人で授業をすることになるが、生徒にとってはクエンティンの授業を楽しみにしていたのは間違いない。

しかし、クエンティンの授業はゲームは少なく、ダイアローグの音読・Fill in the Blank 、Q&A、そしてエクササイズという極めてオーソドックスな授業だった。

彼の人柄に皆は引かれたのだろうと思う。元気いっぱいでオーバーアクションの授業は見てるだけで楽しい雰囲気をかもし出す。

私の授業とは大違いだが、その最後の授業。クエンティンの授業は、久しぶりの授業だった。体調不良のため、授業のキャンセルが続いたためだ。最後なので、彼は彼なりに考えたのだろう。普段の授業とは違い、歌を使った授業を行った。

日本のグループを含め様々な音楽を流し、さて、誰が歌っているのでしょうと、生徒に問いかける。生徒は何の知識もあるはずもなく、適当に答えるだけだ。

私が面白かったのは、あたかもアメリカ人かイギリス人が歌を歌っていると思ったのが、実は日本のバンドだった時だ。こんな発音でよく日本人が歌えるなあと感心していた。

しかし、生徒は何も感じない。また、もちろん驚きもない。

グリーンの「キセキ」という曲の英語バージョンがあり、その歌詞をばらばらにしたものを元の歌詞通りに並べ替えるというゲームをした。

キセキの英語バージョンは、なかなか50前の私が聞いてもクールだと感じた。

班に分かれての活動だったが、出来るグループと全く出来ないグループの差が大きく、何人かで協力し合い、うまく完成出来ていた所は、全体の半分といった所だった。

全く聞くこともできず、ばらばらに切り取られた歌詞を読むことも出来ないなら、活動に参加することは出来ない。

授業とは関係のないおしゃべりが始まり、自分たちの話題で盛り上がっている。

クラスには彼と私と2名の教師がいて、出来ないグループに活動を勿論促すが、音楽を聴きながら自分たちの話に興じるのは楽しく止められそうもなく、こちらとしても活動に懸命に取り組んでいるグループを手助けしたくなる。

最後にもう1度曲を流して、いわゆる答えあわせをしたのだが、私自身間違っている所もあり、ここの箇所は難しいなどと言い訳をしたりした。

クエンティンの体調は良いとは言えず、アレルギーの症状が出ていて、声もかすれ、鼻もぐずぐずしていたが、最後にみんなに一生懸命歌うから聞いて欲しい、と言ってくれた。

最後のお別れの歌となる場面を想像して頂きたい。みんなクエンティンの懸命な歌に聞き入り感動の涙が出てもいい所だ。クエンティンは最後の授業で大サービスをしてくれたのだ。

1年の3クラスで同じ内容をやったのだが、どのクラスも同じ反応だった。

クエンティンの歌など聞かず、好き勝手放題おしゃべりが続く。与えられたカードは床に落ちていて、拾うともしない。

大きな口を開け、鼻水をたらしながらくつろいでいる。

3回目の授業では思わず言ってしまった。

「この歌はクエンティンの君たちへの別れの曲、そして皆さんにこれからも頑張って生きて欲しいというメッセージだ、お願いだから静かにみんな聴こう。」

生徒にお願いするのも変な話だが、私はもうこの学校で大きな声を出して怒ることはしたくなかった。精神安定剤が効いていなかったら、そうしたかもしれないが、もう私は厳しく怒ったりすることをしたくなかった。生徒たちへの常識のなさを疑い、教育の限界は時が解決してくれると自分に言い聞かせていた。

最初から最後までクラスは、静かになることはなく、体調が悪いのに心の底から搾り出すように歌うクエンティンに申しわけないと思った。

怒鳴り散らしても静かに聞かせる場面だったのかもしれない。少なくとも私はクエンティンの歌に感動した。出来ればクラスが静かな中で聴きたかった。

しかし、授業が終わり、いらいらしている私と違って、彼は全然気にしていない様子だった。彼自身強い口調で、生徒を叱るのを見たことがない。ALTとして、お金をもらうためのビジネスだと割り切っていると、彼は別な所で言ったのを思い出した。

ビジネスだと割りきることも出来ず、何の指導も出来ない自分には教員はもうこれ以上続けていけないと感じた。

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竹 慎一郎

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