岡田有希子さん、安らかに。

岡田有希子さんの死は突然訪れたかのように思えた。

1986年4月8日、四谷3丁目の交差点に建つ所属事務所の屋上から彼女は身を投じた。

あれから、35年の年月が流れた。

私の誕生日は、4月3日、4日、5日は友達の誕生日だったので、その直後に起こった大事件だった。アイドル歌手の死は当時若者に衝撃を与えて、彼女の後を追った人たちもいる。

私は決して彼女のファンとは言い切れなかったが、他人ごとでは済まされない思いを感じたものだった。

飛び降りた直後の四谷3丁目の交差点の写真は頭に焼き付いて離れることはないだろう。もちろん、彼女が映っているのではない。事故処理後の写真だが道路にはその痕跡が残されていた。

アイドル歌手として、第2の松田聖子とも言われ成功をおさめていた彼女の死は、現実に行われたのだ。

私は高校生の時に友人を亡くしたが、その時と同じようなショックを感じた。死はすぐそばにあることを改めて知るのであるが、生と死のバランスが取れとれている間は生きていけるのだが、そのバランスが一気に壊れる瞬間がある。死への誘惑に人はかられる。彼女の死は、多くの悩み苦しんで日常を過ごしてきた若者の生と死のバランスを崩してしまい、死へと誘われる人もいるほどだった。

ファンでもない私はそれからしばらく行動出来なくなった。全てのレコードを買い、写真集も買えるだけ買った。何故彼女はなくなったのかを知りたかった。幸せそうに見えるアイドルの世界には闇が隠されているのを感じた。

恐らく彼女は1人で亡くなったのではないのではと感じたが、もうそのことは触れない方がいいと思う。

彼女は愛知県の出身で、医学部を目指しても良い位の秀才だったのを読んだが、彼女が選んだ道はアイドル歌手の道だった。彼女はその夢を立派に実現したのであるが、それが良かったのかは分からない。誰にも分からないことであろう。

何度か私は四谷3丁目に向かった。何度かではない。何度も行った。東京時代は、4月8日には必ずというほど通った。

沢山の花束が置かれて彼女を忍ぶ人も多かった。年々その花束は少なくなっていくようにも思えたが、毎年花束がなくなることはなかった。

そして、今日のtwitterでは沢山のツイートが流されている。#岡田有希子で検索すると皆この日を特別な日だと感じていることだと思う。

恐らく、四谷3丁目にも多くの花束が置かれていることであろう。また、愛知県のお墓にもコロナ禍とはいえ、多くの人たちが訪れていると思う。

あの日、35年前の4月8日は永遠に消え去りはしないだろう。

私が一番好きだった曲は、「森のフェアリー」という曲である。シングルではなくアルバムの中に入っていたと思う。

彼女は、いつまでも森の妖精 “恋するフェアリー” であり、私たちに勇気と希望を与え続けてくれるだろう。

森のフェアリーより

作詞・作曲 かしぶち哲郎

森の木陰に 緑色のシーツ広げ

眠りましょう 秘密なの 夢の国の扉

開きましょう こっそりと バラ色ファンタジア

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竹 慎一郎

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