人間が生きていく原動力とは何だろうか?
もしそれが復讐のためであったとしたら。
人は生きていく上でいろいろな局面に遭遇する。
楽しいことばかりではないことは明らかだ。
信じていた人からの裏切りなどは尽きないだろう。
誰でも一つか2つは、必ずといってよいほど理不尽な現象に向かい合わなければならない時があるのではないだろうか。
人生は復讐劇だ。
小説にしろテレビ番組にしろ復讐劇であふれている。
それが原因で病気になったり、命さえおとす場合すらあるだろう。
強者が弱者を痛めつけるのは決して許されるものではない。
私の先生が受勲され、私はその祝賀会で受付の係をしたことがあった。
東京から夜行バスへ乗り京都へと向かった。
受付と言っても名前を確認するだけのことではあるが、非常に緊張したのを良く覚えている。
何せ、能の家元や知られた歌舞伎役者が次から次へと受付の私の前に現れた。
若い人も大勢いたが、大部分は京都大学の先生の教え子ということもあり、
私は場違いの所にいると思っていたからだ。
その会で先生が挨拶をされたのを良く覚えている。
黒いスーツで身を固めた姿は、70を越えた人とは思えなかった。
普段の先生とは明らかに違っていた。
授業で気軽に質問していた先生ではなく、もうハムレットそのものであった。
”Now I am alone.”
ハムレットの第2独白である。
ハムレットの独白は、第3独白(”To be or not to be, that is a question.”)が有名であるが、
ハムレットの第2独白はハムレットの感情の起伏が最も表れており、先生のお得意の台詞だった。
先生からジョン・ギルグッドのテープを借りて私も何度も練習したものだ。
父を殺されたハムレットの感情はピークに向かう。
”Oh, Vengence.” 「ああ、復讐!」
もう、先生は亡くなられてしまわれたが、あの時の姿は忘れられない。
先生は、私によくこう言った。
君は真面目過ぎる。
ユーモアが必要だ。アメリカのJames Thurber は知っているか?
私はアメリカ文学も一通り読んでいることを知っていた先生からの質問だったのであるが、
私はその名前すら知らなかった。ユーモアと言えばイギリス人だと思うのだが、先生はあえてアメリカ人のユーモア作家の名前を挙げた。
”Humor is a kind of emotional chaos told about calmly and quietly in retrospect.”
「ユーモアとは回想して穏やかに静かに語られる情緒的混沌である。」
私はその言葉に震えがきた。
そして、当時はネットはなかったので調べるのに時間を要したが、
次の授業で先生にこの一文を披露した。
その時の先生のお顔は嬉しそうに見えた。
いかなる状況にあってもユーモアのセンスは忘れてはいけない。
ユーモアとは、へらへら人を笑わせることではないのは明らかである。
人間の根幹にある穏やかに静かに流れている源流のようなものだと思う。
復讐劇は終わりはないかもしれないが、
このユーモアのセンスがあれば人は生きていけると思う。
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