「クロイツェル」三重奏──ベートーヴェンの一曲が、トルストイの小説を生み、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲になるまで

クロイツェル・ソナタ

「クロイツェル」三重奏
ベートーヴェンの一曲が、トルストイの小説を生み、
ヤナーチェクの弦楽四重奏曲になるまで

― 一つの楽譜が、百二十年かけて三度生まれ変わった話 ―

一八〇三年、ベートーヴェンが一人のヴァイオリニストのために猛烈な速さで書き上げたソナタがありました。その曲を、八十年以上のちにトルストイが小説の中で「人を狂わせる音楽」として描き、さらに三十数年後、チェコの作曲家ヤナーチェクがその小説を弦楽四重奏曲に置き換えます。作曲家・文豪・作曲家。三人はそれぞれ別の時代を生き、直接会うことはありませんでした。それでも「クロイツェル」という一語が、三つの傑作を数珠つなぎにしています。この記事では、その連鎖をひとつずつ解きほぐしていきます。

目次

一、そもそも「クロイツェル」とは誰のことか

まず押さえておきたいのは、クロイツェルは作曲者でも小説家でもなく、一人のヴァイオリニストの名前だということです。ロドルフ・クロイツェル(一七六六〜一八三一)はフランスの名手で、パリ音楽院の教授を務めた人物。ヴァイオリンを学んだ人なら誰もが通る『四十二の練習曲』の著者、と言えばぐっと身近に感じられるかもしれません。

つまり「クロイツェル・ソナタ」とは「クロイツェルさんに捧げられたソナタ」という意味にすぎません。ところが話がややこしいのは、当のクロイツェルが、この曲を生涯一度も演奏しなかったと伝えられている点です。難解すぎて手に負えないと考えたとも、単に趣味に合わなかったとも言われます。音楽史上もっとも有名な献呈のひとつが、献呈された本人には届かなかった。この皮肉な始まりが、そもそもこの作品にまとわりつく数奇な運命を予告しているようでもあります。

二、ベートーヴェン《ヴァイオリン・ソナタ第九番》──嵐のような四十分

本当の「初演者」は誰だったのか

この曲がもともと想定していた演奏者は、クロイツェルではありませんでした。ジョージ・ブリッジタワー(一七七八頃〜一八六〇)。ポーランド系の母とアフリカ系カリブの父を持つ、当時ロンドンで活躍していた若きヴァイオリンの名手です。ウィーンを訪れた彼の演奏にベートーヴェンは惚れ込み、彼のために新作を書き下ろしました。

初演は一八〇三年五月二十四日、ウィーンのアウガルテンでの朝の演奏会。ピアノはベートーヴェン自身でした。ただし作曲は間に合っていません。第一楽章のヴァイオリン・パートは前夜に大慌てで写譜され、第二楽章にいたっては清書が終わらず、ブリッジタワーはベートーヴェンの肩越しに走り書きの譜面をのぞき込みながら弾いたと言われます。初見同然の演奏で、しかも四十分近い大曲。想像するだけで冷や汗が出ます。

なぜ献呈先が変わったのか 初演後、二人は酒席である女性をめぐって口論になったという逸話が残っています。腹を立てたベートーヴェンは献辞を書き換え、一八〇五年の出版時にはクロイツェルの名が刻まれていました。真偽は確かめようがありませんが、結果としてブリッジタワーの名は楽譜から消え、代わりに「弾かなかった人」の名が永遠に残ることになります。

「ほとんど協奏曲のように」

出版譜には、ベートーヴェン自身の手でイタリア語の但し書きが添えられています。「きわめて協奏曲的な様式で、ほとんど協奏曲のように書かれた」。これは単なる惹句ではなく、作品の本質を突いた自己申告です。それまでのヴァイオリン・ソナタは、ピアノが主でヴァイオリンが従う室内楽的な性格を残していました。ところがこの曲では、二つの楽器が対等どころか、互いに斬りかかるように張り合います。

冒頭、ヴァイオリンがたった一人で重音を鳴らす序奏。そこから一転してプレストの激流へ雪崩れ込む第一楽章は、優美さや均衡といった十八世紀的な美徳をまるで信じていない音楽です。この「暴力的なまでの緊張」こそが、のちにトルストイの筆を動かすことになります。

項目内容
正式名称ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 作品47
作曲1802〜1803年(ベートーヴェン32歳前後)
初演1803年5月24日/ウィーン・アウガルテン
初演者ジョージ・ブリッジタワー(Vn)+ベートーヴェン(Pf)
献呈ロドルフ・クロイツェル(本人は未演奏と伝わる)
楽章構成第1楽章 アダージョ・ソステヌート〜プレスト/第2楽章 アンダンテと変奏/第3楽章 プレスト(タランテッラ風)
演奏時間約38〜42分(当時のソナタとしては破格の規模)
特徴ヴァイオリンとピアノが対等に競い合う「協奏曲的」書法

使い回された終楽章

補足として面白いのは、疾走する第三楽章がもともと別の作品──ヴァイオリン・ソナタ作品三十の一の終楽章として書かれていた音楽の転用だという点です。作品三十の一には明るすぎると判断されて外され、行き場を失っていたところに、この激烈なソナタが現れて居場所を得ました。締切に追われた作曲家の現実的な判断が、結果的に作品の求心力を高めているあたりに、ベートーヴェンという人の職人性が見えます。

さて、ここまでが「第一のクロイツェル」。次に舞台はウィーンからロシアへ、そして音楽から文学へと移ります。

三、トルストイ『クロイツェル・ソナタ』──音楽は人を狂わせるか

走る列車の中で語られる殺人

一八八九年、六十歳を過ぎたレフ・トルストイが書き上げた中編小説『クロイツェル・ソナタ』。物語は、夜汽車の車室という閉ざされた空間で進みます。結婚と恋愛をめぐる乗客たちの雑談に、一人の男が割って入る。ポズドヌィシェフというその男は、自分は妻を殺したと告げ、そのまま一晩かけて事の顛末を語り始めます。小説のほぼ全体が、この男の独白です。

結婚生活への幻滅、嫉妬、猜疑。そこへヴァイオリニストのトルハチェフスキーが現れ、ピアノを弾く妻と合奏するようになります。ある晩、客を招いた家の居間で二人が演奏したのが、ほかでもないベートーヴェンの《クロイツェル・ソナタ》第一楽章、あのプレストでした。演奏を聴いたポズドヌィシェフは異様な高揚に襲われ、やがて疑念は妄執へと膨れ上がり、旅先から帰宅した彼は短刀を手にします。

ポズドヌィシェフの音楽論 彼は音楽を「恐ろしいもの」と呼びます。音楽は聴き手を作曲者の魂の状態に強制的に同調させてしまう。軍隊行進曲が兵を進ませ、ダンス音楽が人を踊らせるように、あのプレストは、それにふさわしい行為が用意されていない場所で鳴らされてはならない──という理屈です。音楽の力を全面的に信じているからこそ、それを危険視するという倒錯した論理が、この小説の不気味さの核心にあります。

発禁、そして「あとがき」の過激さ

この作品は肉欲・結婚・貞操をめぐる激しい主張を含んでいたため、ロシアでは検閲によって出版を禁じられます。ところが手写しや複写で写本が猛烈な勢いで出回り、禁じられたことでかえって読まれるという典型的な現象が起きました。最終的には、妻ソフィヤが皇帝アレクサンドル三世に直接掛け合い、全集の一巻としての収録が認められます。アメリカでも郵送禁止の措置が取られ、当時の政治家から痛烈な批判を浴びました。

さらにトルストイは、作品への反響を受けて長い「あとがき」を発表し、そこで禁欲主義を正面から説きます。夫婦間であっても肉欲は悪であり、人類が絶えることになろうとも純潔は追求されるべきだ、と。小説の登場人物の言葉ではなく作者自身の主張として提示されたことで、論争はいっそう激化しました。

妻ソフィヤの「反論小説」

見落とされがちですが、この作品には被告席に座らされた側からの応答が存在します。ソフィヤ・トルスタヤは『誰の罪?』と題する中編を書き、夫の小説に描かれた構図をそっくり裏返してみせました。感受性豊かな妻と、彼女を理解しない夫。発表を前提としない私的な原稿として書かれ、日の目を見たのは一世紀以上あとのことです。夫の代表作の陰に埋もれていたもう一つの声が、いま静かに読み直されつつあります。

人物立場物語上の役割
ポズドヌィシェフ語り手・地主嫉妬の果てに妻を刺殺。裁判では無罪となるが、告白を続ける
妻五人の子の母・ピアノを弾く作中でほとんど固有名を与えられず、夫の視線からのみ描かれる
トルハチェフスキーヴァイオリニスト妻とソナタを合奏する。関係の真偽は最後まで明かされない
汽車の乗客たち聞き手近代的な結婚観を語り、告白を引き出す装置となる

四、ヤナーチェク弦楽四重奏曲第一番──「殺される女」の側に立つ

六十九歳、わずか九日間の作曲

三つ目の「クロイツェル」は、チェコのレオシュ・ヤナーチェクによってもたらされます。一九二三年秋、チェコ弦楽四重奏団からの委嘱に応えて書かれた弦楽四重奏曲第一番「トルストイのクロイツェル・ソナタに寄せて」。作曲に要したのはわずか九日間ほどで、完成当時ヤナーチェクは六十九歳でした。初演は翌一九二四年十月、プラハ。晩年の十年ほどで《利口な女狐の物語》や《シンフォニエッタ》を次々と生んだ、驚異的な創造期のただ中の作品です。

実はヤナーチェクは、これ以前にも同じ小説を素材にピアノ三重奏曲を書いていました(一九〇八年)。その楽譜は失われてしまいましたが、弦楽四重奏曲第一番にその素材が組み込まれているとする見方が有力です。十五年越しで温められた主題が、晩年の熟達した筆で一気に噴き出した、というわけです。

ヤナーチェクは誰に感情移入したか

ここが決定的に重要な点です。トルストイの小説は殺した男の独白でした。ところがヤナーチェクは、殺される女の側に立ってこの曲を書いています。彼は友人への手紙で、苦しめられ、打ちのめされ、殺されてゆく哀れな女を思い描いたのだ、という趣旨を記しました。原作の語り手の論理をなぞるのではなく、その論理の犠牲になった存在に音を与える。翻案ではなく、明確な批評的読み替えです。

その背景には、晩年のヤナーチェクが強い想いを寄せていたカミラ・シュテスロヴァーの存在も指摘されます。三十八歳年下の人妻であった彼女は、この時期の多くの作品に創造的な火をつけました。既婚女性への抑えがたい感情という状況が、トルストイの物語の受け止め方に影を落としていたとしても不思議はありません。

音楽的には、短い動機が執拗に反復され、突然断ち切られ、また別の表情で戻ってくる。弓の圧力や駒寄りの奏法(スル・ポンティチェロ)による擦れた音色が、神経の軋みのように差し挟まれます。約十八分。ベートーヴェンの四十分とは対照的に、短く、鋭く、傷口のような音楽です。

五、三つの「クロイツェル」を並べてみる

比較軸ベートーヴェントルストイヤナーチェク
成立年1803年1889年1923年
ジャンルヴァイオリン・ソナタ中編小説弦楽四重奏曲
規模約40分文庫で100頁前後約18分
中心にある感情闘争・競合の高揚嫉妬・自己嫌悪・断罪哀悼・共感・怒り
視点二つの楽器の対等な拮抗殺した男の一人称殺された女の側
作品同士の関係すべての出発点ソナタを「危険な力」として引用小説を音楽へ差し戻す
作者の年齢32歳前後61歳前後69歳

こうして並べると、連鎖の面白さがはっきりします。ベートーヴェンの音楽には、もともと不倫も殺人も含まれていません。物語を持ち込んだのはトルストイであり、その物語をさらに批判的に読み替えたのがヤナーチェクです。つまり後ろの二人は、前の作品を「解釈」したというより、前の作品を材料にして自分の問いを立てている。芸術作品の受け渡しとは本来こういうものだ、という見本のような系譜です。

六、味わうための順序──おすすめの辿り方

初めて触れる方への提案 ①ベートーヴェンの第一楽章プレストだけをまず聴く(十分前後)。②トルストイの小説を読む。演奏場面まで来たとき、耳が音を覚えている状態になります。③ヤナーチェクを通しで聴く。ここまで来ると、断片的で落ち着かない音の連なりが「誰の声なのか」が感じ取れるはずです。④最後にもう一度ベートーヴェンを全曲で聴くと、同じ音楽がまったく違って聞こえます。

一つの作品が、後世の誰かの手で読み替えられ、別のかたちで生まれ直す。その連鎖に立ち会えるのが、この三作を続けて味わうことのいちばんの贅沢です。二百年前のウィーンの朝、間に合わない楽譜を肩越しにのぞき込んで弾いた若者は、自分の弾いた音がやがて小説を生み、その小説がまた四重奏曲になるとは思いもしなかったでしょう。

クロイツェル本人は弾かず、初演者は献辞から消え、小説家は音楽を危険と断じ、作曲家はその小説の犠牲者に寄り添った。噛み合わないまま受け継がれてきたからこそ、この系譜は今も鳴り続けています。次に《クロイツェル・ソナタ》のプレストを耳にするとき、その響きの奥には、夜汽車で語り続ける男の声と、名前を与えられなかった女への哀歌が、静かに重なっているはずです。
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竹 慎一郎

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