S先生のこと。40年間英語教育に携わってきた結果は保父さんになることであった。

英語教育 菅泰男 須山静夫 鈴木益男

中学生から英語の勉強が始まる。

中学1年生の時の英語はほとんどと言っていいほど、

英語に対して違和感を感じない。なぜなら簡単に思えるからだ。

中2になると、現在完了や受け身などの文法事項が加わるためか分からないが、

英語嫌いが激増する。

テストが出来るはずもなく、英語に対するアレルギーが増えていく。

今の学校教育における英語の学習は、コミュニケーション重視なので、

何とか正確ではなくとも英語が通じればよいという考えになっているため、

英語の文法は以前ほど重要視されていないのだが、テストにせよ入試にせよ、

英語の読解から抜け出すことは不可能なので、コミュニケーション重視の授業では

入試には対応できないという構図があり、それは大学受験でも言えることである。

自分にとって、英語が必要ならば自らの意思で英語に立ち向かうと思われる。

日本語で書かれた小説を読んで、もし命を救われた経験があるのならば、

恐らくその人は小説を読むのを死ぬまで辞めないと思う。

私にとっては、英語の本を読んだことによって命を救われたことがあったので、

英語の世界に入っていく訳だが、何十年も英語に関わってきて思うことは、

英語が嫌いになり始めていることである。

英語を読む分には全く以前英語に抱いた情熱は消え去ってはいないのだけれども、

英語に関わっている私の周りの人にうんざりさせらることが多くなり、

英語に対する情熱も薄れかかってきた。

所詮、人間はひとりで生きることは出来ないので、

読書という行為はひとりで行う能動的な一種の戦いとはいえ、

それを職業にするとなると、人と関わらなければならないことは明らかである。

S先生は、59歳からメルビルのクラレルを読み始めたらしい。

その後、10年以上費やして読み進めたらしい。

何がS先生を突き動かしたのかは、それが自分がこの世に存在し、

生きるための証であったことは明らかであろう。それは文学への逃避ではなく、

自らに対する決着をつけなければならない戦いであったと思う。

英語が嫌いになった私は、生きる術をなくした、羽のない鳥のようだ。

「S先生のこと」という本は読みたくなかった。

その本に書かれていることはなんとなく読む前から分かる気がしていたのだが、

読み終えてやはり読んでしまったことを後悔し、自分の無力感にさいなまれている。

若い人は、英語が話せるようになりたいと思い英語に興味を持っていることは素晴らしいことだと思う。

諦めずコツコツ勉強して欲しい。

そして、英語の深さを感じるようになっても英語を勉強して欲しい。

私は、40年無駄にした。

英語教育に携わった40年であるが、それは保父さんになることで終わってしまった。

これから、失われた40年を取り戻すことは不可能に思えるが、

せいぜい少しでもやり残したことを行いたいと思う。

5年かけて白鯨とリア王に向かい合うつもりである。

もう一人のS先生、菅泰男先生が私に投げつけてきた難問である。もう30年ほど前のことになる。

S先生も菅先生もとっくに亡くなられたので、誰に質問したら分からないが、自分の内からの声に

正直に従うしかあるまい。

まだ、その声は聞こえているので。

英語教育 菅泰男 須山静夫 鈴木益男

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竹 慎一郎

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