2階から見る風景。静かで穏やかな時間の流れを感じながら。

静かに流れる時間

今まで何度引っ越しをしてきただろう。

アパート暮らしは1階の時もあった。2階の時の方が良く記憶に残っているのは不思議なことのように思える。

その風景は、言わば単調な代わり映えのしない風景に過ぎないのであるが、

不思議とその時々の2階からの風景は覚えている。

東京で初めて2階建てのアパートに住んだ時、

天井は低く、外ばかり見ていた。

見えるものは、家並み。毎日散歩に連れて行ってもらえない犬が遠吠えをするのを聞きながら、

1メートル位の隙間から見える空を見ると、何千年前もこの空は同じようにあったのだろうかと思っていた。

そうだ。今この2階から見える5メートル位から見える空もあの時見た空と変わらない。不思議なことだ。

厳密に言うならば、同じはずはない。

前住んだ借家の2階から見る風景も同じだったのだろうか。

ベランダに鳩が止まり、スズメも遊びに来ていたが、今のこの2階のベランダには

鳥が止まることなど見たこともない。

周りの生き物の存在が今はあまり感じることが出来なくなったのだろうかなどと考えても

自分が生きていることしか分からなくなってしまったのだろうか。

そうだ。とにかく今まで降りかかってきた災難は頭の隅に置いて、

生きていることは間違いない。

生きるということは怖いことだと思うようになった。

怖い世界の中で生き延びている自分の存在さえ不思議な気がする。

遠くで蝉の声が途絶えながら聞こえてくる。

今、この瞬間に亡くなる方がおられることは信じ難い気持ちになる。

静かに穏やかに生きているかのように見えるかもしれないが、

誰でも抱えている重荷の存在が内にあるのは当然だと言えば当然だろうが、

それは目に見えないので、誰もその重荷の存在に気付かないのであろう。

失くしたものでさえ、記憶と共に薄れていく。

人間とは都合の良い生き物のような気がする。

次は自分かもしれない。

思い残すことはないのかと思うと切なくなる。

限られた時間の中でせいぜい出来ることは

私には限られているように思える。

その時間は大切なのだが、何もすることもなくともただ一切は過ぎて行く。

のどが渇いたので一口水を飲んだ。

のどが渇くのは私の意志ではなく、私の身体を動かしているもう一人の私なのだ。

どちらも私に違いないが、もう一人の私は私のことを熟知して黙って身体に作用するのか?

曇り空。

どこに行く訳でもないのだが、動かない空を茫洋と見る。

静かに流れる時間

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竹 慎一郎

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