私が小学生から高校生にかけて外国人は、テレビの中でしか見ることはできなかった。英語の授業は、中学生から始まるが、当然先生は日本人で、This is a pen. から習い始めたのを良く記憶している。英語は文法と英語の直訳が主に行われていた。話すことには重点はもちろん置かれていなかった。
大学生になると、英語のネイティブの授業があり、選択制であったが受講したものの何を言っているのかさっぱり分からなかった。話すことと聞くことに慣れていなかったのでそれは当然のことであるが、大学生から少しずつではあるが、英語を話すことと聞くことにも意識するようになった。
私は、大学院に進み、学校の先生にはなるつもりは全くなかったのであるが、予備校や塾で英語をアルバイトで教えるようになり英語教育の楽しさも徐々に感じるようになった。父が高校の先生をしていた関係で、父の退職と入れ替わるように、高校の英語の先生になり20年以上務めたことになる。
小学校では、現在英語の授業が必修になっている。1987年、いわゆるJETプログラム(The Japan Exchange and Teaching Programme)が始まると、地方公共団体が、諸外国の若者を地方公務員として採用し、全国の小中校に配属されるようになった。ALT(Assitant Language Teacher)の先生たちの数は、年々上昇しているらしい。小学校が一番多く、2016年の調査小学校の英語授業ではALTの導入が進んでいる | 学校向けオンライン英会話 Weblio英会話によると、小学校、12424人、中学校、7722人、高校、2842人と、2万人を越える英語のネイティブが各学校に配属されている。
今の小学生は、英語のネイティブから授業を受けていて、外国人の姿を見ることにも全く抵抗は感じないことであろう。私たちの頃は、外国人を見ることすら珍しかったのに。
国際的にみても、日本人の英語能力の低さが問題視されていたための、英語教育の改革がALTの導入という訳である。
英語の授業は、現在、昔と比べると様変わりしている。Speaking とListening に 重点が置かれた授業は、歌ありゲームあり楽しいものであるが、ReadingとWriting は逆に軽視されるようになった。
とにかく、文法に縛られず話そう、英文も大まかに筋をとらえればいいのではという発想に変わってしまった。戸惑うのは英語の教員である。高校にも1名のALTが配属されるようになり。これまで多くのネイティブとの出会いがあった。しかし、概して良い思い出はない。配属されて1週間も経たない内に寂しさのあまり帰国したALTもいた。ただ、英文の音読させられるのを拒否したALTもいた。何もせずに、月30万円の給料が出るので、1日中、映画鑑賞に明け暮れて授業に参加するように頼んでも拒否したALTもいた。
管理職からはALTをどんどん使うように言われたていたが、なかなか上手に息の取れた授業をするのは難しく思っていた。高校生になると、流石に歌やゲームばかりの授業は生徒達は喜ぶのだが、私は時間の無駄にさえ思えた程だった。それゆえ、ALTとのトラブルも多く経験した。何度も言い合いになったものだった。割り箸を使う日本人は環境問題を考えていないと言ったALTもいた。割り箸の、木材は廃材から作られると説明しても聞く耳を持たなかった。オーストラリアやニュージーランド、あるいは南アフリカのALTの方が日本の文化を理解しようと務めていたと感じた。一方、アメリカ人は、始めから東洋人をバカにしたような態度を取るALTも多く、アメリカ人のプライドの高さにはこちらから願い下げだと感じたほどであった。アメリカ人は、日本に原爆を落としたことを正当化した教育を受けており、私は20歳位の若い女性からバカにされているように感じたものだった。
しかし、1人だけ思い出に残るアメリカ人のALTがいる。彼女とは今でもFacebook でつながっている。当時の彼女は、背も低く痩せていて、しかも極端に控え目だった。彼女の主張は理にかなったものであり、日本人の意見も積極的に受け入れてくれ、私は彼女と一緒に英語の授業をするのが待ち遠しくなっていた。その彼女は、今や40代の体格の良い母親になっているのが、Facebookで分かった。旦那さんと2人の子どもと幸せに暮らしている姿がFacebookに時折UPされる。その姿を見る度に当時のことが思い出され、懐かしく感じる。私の中でアメリカ人への意識が変わったのも彼女のおかげである。
この広い世界にはいろいろな人がいる。思い込みで人を判断しないことにできるようになったのは、あの小柄で控え目なEmily のおかげである。
今は、その当時と比べると随分とたくましくなった。その笑顔は当時のままであるが。
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