世界ふしぎ発見!神様の気まぐれ旅 台湾・媽祖祭 予測不能な400km 先取り

台湾 媽祖祭 世界不思議発見
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台湾の熱狂的な祭り媽祖(まそ)祭とは?

台湾の熱狂的な祭り「媽祖祭(まそさい)」は、毎年3月23日から4月28日にかけて、台湾全土で開催されるお祭りです。媽祖とは、中国南部の海岸地域に伝わる宗教的な女神で、海上安全や漁業の豊穣、災害からの守護などの信仰があります。

2023年の媽祖祭は、

3月21日(火)

拝神儀式:11:00~

神輿巡行:15:00~(雨天変更あり)

巡行コース

媽祖廟→南門シルクロード→関帝廟通り→福建路→西門通り→大通り→南門シルクロード→媽祖廟

となっています。

台湾では、媽祖を祀る寺院が多数存在し、その中でも特に有名なのが、台北市の「大天后宮(だいてんごうぐう)」や、台南市の「億載金城廟(おくさいきんじょうみょう)」などです。媽祖祭では、各地の媽祖信仰の中心となる寺院を中心に、練り歩くパレードや花火大会、儀式などが行われます。

また、媽祖祭では、台湾全土から多くの信者が訪れるため、地元の商店街や屋台も賑わいます。台湾の美味しい食べ物を楽しんだり、伝統的な芸能やダンスを鑑賞することもできます。

媽祖祭は、台湾の文化や信仰を象徴するイベントであり、多くの人々にとって、年に一度の大切な行事となっています。

媽祖祭で全9日間往復400キロの大移動!一緒に11万人の参加者も移動するの?

媽祖祭は、台湾の全土で開催されるお祭りであるため、参加者が各地から集まることがあります。例えば、台北市の大天后宮から嘉義県朴子市の天后宮までの移動距離は約400キロメートルになります。

このような移動を行う参加者もいますが、11万人が一斉に移動するわけではありません。各地の参加者は、主に自家用車やバス、電車、高速鉄道などを利用して移動します。また、宿泊施設も各地にあり、移動距離が長い場合は、途中で休憩を挟んで移動することも一般的です。

媽祖祭は、多くの人々が参加する台湾を代表するお祭りの一つであり、参加者は自らの信仰や祈願を胸に、各地から媽祖の祝福を受けるために参加することが多いです。

媽祖と日本の関係は?

媽祖と日本には古くから深い関係があります。

日本の江戸時代には、台湾との貿易や漁業などの関係があり、当時の商人たちが媽祖を信仰することがありました。また、日本の元禄時代には、台湾の平埔族との戦いである「勝連城の戦い」において、媽祖を信仰する漁民たちが、台湾原住民側に味方して戦ったことが記録されています。

現代においても、日本と台湾の間には文化的な交流があり、日本でも媽祖を祀る寺院が存在しています。特に、福岡県にある「博多祇園山笠」は、媽祖を祀る天后宮と交流があり、毎年、媽祖を祭る台湾の天后宮から山笠祭に招待され、参加することがあります。

また、近年では、日本の観光客が台湾を訪れ、媽祖祭を観光することも増えています。日本でも、台湾の文化や媽祖信仰に興味を持つ人が増えているため、媽祖と日本の関係は今後も深まっていくことが期待されています。

媽祖と日本の江戸時代の関係は?

江戸時代の日本と台湾には、貿易や漁業などの関係があり、日本商人たちは台湾の港に立ち寄って貿易を行うことがありました。当時、日本商人たちの中には、媽祖を信仰する人々も多かったとされています。

江戸時代の文献によると、日本商人たちは台湾の海上交通を担っており、彼らの船は媽祖の名前を冠していました。また、媽祖を祀る寺院も日本商人たちによって建てられ、媽祖信仰が広がっていったとされています。

一方、日本が台湾に進出するようになったのは、明治時代になってからであり、1895年には日本による台湾併合が行われました。この後も、台湾と日本の関係は深まり、日本の台湾統治時代には、媽祖信仰も続いていきました。現代においても、日本には媽祖を祀る寺院が存在しており、日本と台湾の文化的な交流も続いています。

媽祖と江戸時代の人物との関係は?

江戸時代の日本と台湾には、貿易や漁業などの関係があり、当時の日本商人たちの中には、媽祖を信仰する人々も多かったとされています。特に、日本と台湾を行き来する商人たちにとっては、海上の安全を祈るために媽祖信仰が重要であったとされています。

媽祖信仰を持った日本人の中には、媽祖に捧げる詩や歌を作った人物もいます。例えば、江戸時代の俳人である松尾芭蕉は、台湾での旅行中に媽祖信仰に触れ、媽祖を詠んだ俳句を残しています。

また、日本と台湾の文化交流が盛んになると、媽祖信仰を通じた交流も行われるようになりました。台湾から日本に来た神職たちが、日本の各地の媽祖信仰の中心地を巡り、儀式や祭りを行うこともあったとされています。

以上のように、江戸時代の日本と台湾の間には、商業や文化を通じた交流があり、媽祖信仰を共有する人々も多かったことがわかります。

松尾芭蕉が媽祖について詠んだ歌とは?

松尾芭蕉が媽祖について詠んだ俳句は、以下の通りです。

「島の南や馬祖の媽祖のまつり」(『奥の細道』)

この俳句は、芭蕉が奥州からの旅の途中で、台湾の北にある馬祖島を訪れた際に書かれたものです。馬祖島には媽祖を祀る寺院があり、媽祖信仰が盛んであったとされています。芭蕉は、この地で媽祖信仰に触れ、その祭りに参加したことが伝えられています。

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竹 慎一郎

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