銀河街の悪夢 SEKAI NO OWARI 再考

2007年結成、2011年メジャーデビューを果たした、セカオワの初期の作品(2014年1月22日発売)を取り上げていきたい。2021年2月10日発売のベストアルバムにも収録されている。

SEKAI NO OWARI – Wikipedia

SEKAI NO OWARI (End of the World)

Fukase 1985年(昭和60年)10月13日生Fukase – Wikipedia

銀河街の悪夢

作詞:Fukase

作曲:Nakajin

明日に住みついてる幻覚の名前は

皆さんご存知「希望」というアレです

世紀末は何も起こらなかった。1999年のノストラダムスの大予言をある意味では期待していた私は21世紀に入り仕事に追われる日々とかす。私の30代からは仕事一本で進んできたのだが、1985年生まれのFukaseも世紀末思想は心のどこかで感じていたのではないかと思う。彼自身の自伝的曲であることは周知されているのだが、私は21世紀に入り、SEKAI NO OWARI というバンド名にある種の違和感をずっと覚えていた。バンド名の由来は、「世界の終わりから始めてみよう」らしい。

様々な媒体で取り上げられているこの曲の再考を試みる理由は、これから少し述べていきたい。Fukase自身、10代の頃にADHD(多動性障害)と診断されており、高校を中退後、アメリカンスクールに通い、留学したのだがわずか2週間で帰国、その後、閉鎖病院に入院したことも告白している。彼にとっては世界の終わりに明らかに置かれ悩み苦しんだことであろう。その時の思いに曲が付けられこの世に飛び立ったのである。私は、彼の顔を見ると時々目線が一人だけおかしいことに気づいてはいたが、彼の病気のことは全く知らなかった。そのため、この曲を初めて聞いた時の衝撃は太宰治に衝撃を受けた時と同じ印象を受けたものだ。

昔は、ADHDという言葉はなかった。ここ2,30年の研究で明らかにされ、教育現場にも登場するようになった。私の頃には、ちょっと個性が強く落ち着きがない子とみなされており、病気の定義自体存在されてはいなかった。そんな病気なのである。しかし、教育の現場に身を置くようになり、このADHDの生徒には非常に苦しめられたのも事実である。自分を抑制することが出来ずに思ったことをストレートに言われると、教える側としてもショックであった。ADHDの病気そのものは個体差も大きいものと思われるが、自分でこの病気を認めることはなかなか困難を極めることではないかと思う。何故ならこの病気の人たちは自ら思ったことを口にし、自分の望むまま行動するだけなので、自分自身にはこの病気の自覚症状はないと思うからである。彼自身はそれを認めていたのは人間としても苦痛であったものと推察される。留学についていけず、帰国後閉鎖病院に入院したことが彼のエネルギーとなってこの曲が出来たのだろうと思う。

考えてみて欲しいのだが、精神的な病を詞にするなどこれまでにあっただろうか。私の知る限りでは存在しない。AMAZARASHIの曲に「僕が死のうと思ったのは」という曲も衝撃的なのだが、秋田ひろむは病気であるとは思えない。病気を経験したものでしか書けない内容がこの曲にはあふれている。恐らく、ある投稿ではパニック障害と書かれているのを読んだのだが、簡単に言えばうつ病である。この薬は、苦しみも楽しさも奪っていくのである。苦しい気持ちは薬によって和らげはするが、何も自分から行動出来ずに過ごすのはこの病気になったものでしか分からないと思う。しかし、この曲は若い人の心をつかみ、SEKAI NO OWARI という名前にも魅かれていく。皆、苦しみや絶望を味わっていると思わざるを得ない。この曲のテーマが「希望」であるのは決して皮肉ではない。絶望の向こう側にあるのは「希望」なのである。パンドラがあの箱を開けてしまった後に箱の隅にきらりと光る「希望」という玉があったのと同じだと思う。

Fukaseの言葉に、Fukaseの同志たちが大勢存在する。これまではタブー視されていた精神的な病気をうたったFukaseの勇気に脱帽するのみである。

Fukase自身は、すでに寛解していると言われ、睡眠導入剤は飲んでいるらしい。

鉄拳のパラパラ漫画はこの曲にマッチしている。コンサートでもバックに使われている。

踏切で電車を通り過ぎるのをどうか見送って欲しい。その先には死ではなく「希望」が待っていると信じたい。

Fukaseが、時折見せる遠くをぼんやりと見つめる目線が見ているものは、そう、「希望」なのである。

強くなれ僕の同志よ

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竹 慎一郎

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