人生という冒険。夢と現実のはざまで。

「うな吉の冒険」というタイトルで、小学生の頃作文を書いたのを良く記憶している。

小学生の高学年だったと思う。

作文を書くのには抵抗は感じないようになっていたとはいえ、物語を書くように先生から言われた私はどうしようかと迷ったが、このタイトルにした。うな吉とは、ウナギのことだが、これから始まる大きな夢のことを書くつもりで書き始めた。

その頃は、ソフトボールの市の大会で優勝するなど学校ではちょっとした知られた存在だったので大きな夢にあふれていた。うな吉が、プロ野球選手になり活躍して大金持ちになるのはどうだろうなどと思いながら書き始めた。

うな吉は、旅立つ時感じた。独りだと言うことを。これから進むべき道は独りで成し遂げなければならないと感じた時どうしようもない焦りやら不安やらを感じた。うな吉は独りでは何もできないことを思い知らされた。そこで私は、旅を止めることにした。うな吉は寂しくなり家に戻りました、と結んだ。

1人ひとり自分の書いた物語をクラスの前で読むことになり、誰も聞きはしないだろうなどとふてくされながら書ききることはできなかった作文を読んだ。恐らく皆は面白い物を期待していたのだと思う。私が読み上げた時、笑い声が起こった。うな吉の冒険は出来なかったことに皆は拍子抜けしたのだろう。その冒険は成し遂げられずに何もせずに家に引き返すとは。しかし、それは今の私にも当てはまってしまうので笑い事ではない。

この海の向こうに何があるのか確かめようとようとする自分が確かにいる。そして、それに踏み出せない自分もやはりいる。あれから何十年も経ってしまったのだが、精神年齢は小学生と同じなのだ。その一歩は言うのは簡単であるが、今の私にはますます困難になってきた。体力がないのだ。旅でも冒険でも体力が必要だ。近くの公園まで10分位歩くだけでもうへとへとになってしまう。そんな身体では冒険などは無理かもしれない。ただ、冒険は無理でも、旅ならできると信じたい。冒険の道は険しい。戦いが待っている。旅なら戦う必要はないだろう。ただ、今いる場所とは違う場所に身を置くことだけで、過去を一時的にでも忘れることができるのではないかと思う。体力はもちろん必要なので少しでもウォーキングでもしてその日に備えたい。

うな吉が冒険を諦めたのは、ただ寂しいばかりではない。無理して人生という荒波に立ち向かっていくことを無意識のうちに避けたのだろうと思う。冒険はしたかったのだが、その先にある巨大な存在に体当たりしても無駄だと子どもながら思ったのかもしれない。体当たりはもはやできないかもしれないのだが、戦わなければならないとしたら、今度は諦めずに戦っていくことも大切なことかもしれない。

そう、うな吉の冒険はまだ終わってはいないのだ。その冒険は結局、元の家に帰ることになると思うが、今の自分が出来るやれることは諦めずに行いたい。

冒険や旅とは、夢という言葉に置き換えることができるかもしれない。夢は覚めてしまえば消え去ってしまうものかもしれないが、やり残したことがあったら悔いが残る。悔いのない人生などないのかもしれないが、そういう気持ちだけは忘れずにまだなお生きていきたいと思う。

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竹 慎一郎

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