不条理の世界に生きる君たちへ

The experiences of mental hospital

上手くいかない。

思い通りにはいかない。

人が信用できない。

一生懸命やったことは全て水の泡だった。

なぜ自分の思いは伝わらないのだろう。

真実がゆがめられ、真実が見えなくなってどうすることもできない。

自分だけがなぜこんな目に合わなければならないのだろう。

何か悪いことをした報いを受けているのだろうか。

なぜこの世の人たちは誠実に物事を受け止めず、自分の都合だけで生きて私の意見など聞く耳は持たないだろうか。

こんな平和な日本に生まれたのにも関わらず、なぜ私の心だけは平穏に過ごせないのだろうか。

公園で楽しく遊ぶ子どもたち。あんな子ども時代も自分にもあったはずなのに、今の自分にはそんなことさえ想像できないのはなぜなのか。

いつもと同じように時間は流れている。見上げると空も星も子どもの頃と何も変わってはいないはずなのに、私にはその風景を見ても、その景色から恨まれているようになってしまったのはなぜなのだろうか。

様々な思いは駆け巡り前に進むのは惰性で進んでいるに過ぎない。

なぜなのか。

その答えはこの世は不条理に包まれているからだ。

その不条理に一旦捕まってしまうと簡単にはその世界から逃れられないかのように思える。

人は決して平等ではない。

成功が微笑みかけ、悩みもなく、お金にも不自由することなく、高い地位に就き生きてそして死ぬ人もいる。

死だけは誰にも平等に与えられたものであろう。

どんな偉い人でも死だけは逃れられない。

死のことを考えてみてください。

明日自分が死んでしまうと考えてみてください。

すると今自分はどんな状況に置かれていようが生きているのが分かると思います。

生きていることは無駄ではない。

あなたの存在で救われている人がいるのに気づかないだけだ。

あなたの存在はその人にとってかけがいのないことだとあなたは気づかないかもしれないがそれは事実だ。

あなたは決して独りではない。

あなたが孤独で家族も友達もいないとしても。

そんなあなたと同じ人間が少なくともここにいるからだ。

あなたは生きてそして死に至るのは避けられることではないのだが、今のこの瞬間を生きていることは疑いないことだ。

不条理に包まれ、人生に絶望すれば必ずや死を思い浮かべるだろう。それは人間なら当然なこと。自分の亡骸を見ることはあの世に行けば見ることはできるのかもしれないがそんなことは分からない。

静かに死を受け止めればいい。

必ず死はやって来る。

それを受け止めるには少々勇気が必要かもしれないのだが、それがどんな形でやって来るのかは今の私たちには分かりはしない。ただ、それだけのこと。

今、あなたが死を選ぼうとしているのなら、何もしないで呼吸を、そして心臓の動きだけを感じて欲しい。何もしなくとも生きているのを感じることであろう。

人間のメカニズムは素晴らしいと思う。今すぐ死を選びたいと感じようが勝手に体の中の臓器たちは動いてくれる。電源一つで生と死を切り替えることはできない。そして眠りが襲って来ることだろう。眠りとは死の疑似体験と言っても言い過ぎではない。しかし、その眠りの中にあろうが、人間の中にある臓器たちは勝手に動いてくれ、そして人間の体の再生へと導いてくれる。それだけで十分だ。やがて、あなたが動いてくれるのを体の臓器たちは望んでいるから。そこまでどうぞ待ってください。

死は逃げはしない。そこまで行くには大変な苦労が待ち受けているかもしれないが、死が訪れてくれるのは間違いないので、そこまで行って思う存分死を味合うこととしよう。

死の瞬間は分からないかもしれない。なぜなら私たち人間は眠りに落ちていくその瞬間を調節することは不可能に思えるから。あの世は本当にあるのかは行ったことはないので分からないが、永遠に続く死をその時味合えばいい。あなたが生きたその時間よりも更に長い死後の時間は長い。そこまで耐えるのは難しいかもしれない。

しかし、あなたの存在はあなただけのものでは決してない。

あなたの臓器を動かしてくれるもう一人のあなたがいることは間違いないと私は思う。

The experiences of mental hospital

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竹 慎一郎

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