テレビの崩壊

The Collapse of Television in Japan

一家に必ず1台はテレビがあると思うが、テレビ番組の崩壊は目覚ましいものがある。テレビをつけると、毎日のように各テレビ局で、お笑い芸人がクイズ番組に出ている。Youtuber もテレビに出るようになった。Youtube のパクリのようなテレビ番組も多い。外国からテレビ番組を買って日本で放送するのは昔からあったが、よほどネタは尽きたかのように思える。将来何になりたいのかと、小学生に聞くと、Youtuber とお笑い芸人が上位に入る時代である。いくら高い学歴を持とうが大企業での大量リストラの話が流れると終身雇用制は完全に崩壊し、日本は老人ばかりの世界で取り残された国になることは目に見えている。

個人の趣味は大衆化せず個別化に向かいテレビ時代の崩壊はますます進んで行くことになるだろう。一家団らんという言葉も死語になるかもしれない。家族の団らんではそれぞれ自分の好きな媒体で過ごすことになるかもしれない。そんな、時代はもう始まっている。

お笑い芸人の質が変わった。かつて漫才ブームが1980年から2年間起こったがもうそのような漫才は今姿を変えた。漫才が社会に迎合し枠からはみ出すような漫才は消えて薄ぺらな笑いだとしか私は感じることはできない。あの時の、ツービート、紳助・竜介、B&Bなどは時代の先端を走っており、またバブルで浮き立つ時代への警鐘を鳴らした。漫才が時代を変えようとし、また時代は変わる寸前まできた。そんな勢いがあったと思う。

「武は何を言っているのか分からない。早くひっこめ」という投稿をSNSで見た時、私は今の時代の違和感を感じざるを得なかった。武は年を取ったがまだその存在だけで生きていけると思う。オールナイトニッポンで、武が古今亭志ん生(5代目)のことをこんな風に言ったのを覚えている。「志ん生さん、何も言わず黙って座っているだけでも見にくる客はいるだろうね。」志ん生の落語はレコードで図書館から借りて聞いていた私は、武も志ん生のようになるだろうと思いその気持ちは今もなお変わっていない。

論客がいなくなった。「朝まで生テレビ」は日本のタブー視されているようなことにまで議論された。今もテレビ番組は残っているらしいが、私は九州にいるので見ることはできないのであるが、今は随分中身は変わってしまったと聞く。政治がバックに絡み論客の言葉は薄ぺらな言葉だと聞いたが、最もだと感じ見る気も起らない。

時代の流れを変えようとする瞬間がある。音楽であれば、パンクであろう。イギリスの女王を攻撃するような歌詞など当時は考えられなかった。一時的であるとしても音楽の力も莫大である。

あるお笑いの作家が、太宰のことをパンクに例えていたが、文学も時代に敏感だが今何を読めば良いのだろうか。東野圭吾しか読む気がしなくなった。

私の世代は学生運動の後の世代なので直接は関与していないが、その当時を知っている人は「もしかしたら日本はもう少しで動くかもしれないという所まで来ていた」と言った。私が通っていた大学も、学費が値上がりすると、大学の出入り口をバリケードで覆い職員を大学に入らせないことも1年間に1回は経験したものだ。今は、もうそんなこともなくなってしまったようだ。

もう、日本の将来は目に見えている。私はできるならば「さらば日本」といきたいところである。これから日本を背負っていく若者たちがどのような選択を取るのかは分からないが、日本を去らずに再生してもらいたいと思う。なかなか簡単なことではないが。

日本の未来は若い人たちにかかっている。少子高齢化が抑えられない限り不可能なように感じてしまう。しかし、日本の円の力はまだ大きい。私は日本には表には出ないお金が眠っていると思う。もしもの時に備えて。

私はこのどうなるか分からない日本で、最後を迎えたいが、元気があれば、日本を去っても構わないとさえ思っている。

The Collapse of Television in Japan

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竹 慎一郎

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