“カネボウ破綻”から19年…なぜ「余り物」は復活できたのか?カンブリヤ宮殿

カネボウ 復活
目次

カネボウの歴史

カネボウの歴史は古く、1887年(明治20年)に創業された日本の化粧品メーカーです。以下に、カネボウの歴史の主要な出来事を振り返ってみましょう。

・1887年 – カネボウ創業。当初は染料や香料、植物油などの製造・販売を手掛けていた。

・1908年 – 化粧品部門が設立され、化粧品の製造・販売を開始。

・1957年 – マスカラ「サスクワッチ」を発売。当時の女優・吉永小百合さんが広告塔となり、大ヒットとなった。

・1960年代 – 香水「パルファム・ツヴァイ」や美白化粧品「イソフラボン」など、多数のヒット商品を生み出す。

・1970年代 – 海外進出を積極的に展開。欧米やアジアなど、世界各地に拠点を設立。

・1990年代 – 世界的に流行したボディケアブランド「ムーノ」を展開。また、化粧品や医薬部外品などを取り扱うカネボウグループの社名を「カネボウ株式会社」に変更。

・2000年代 – カネボウの経営不振が深刻化し、2007年に破綻。その後、経営の立て直しに取り組み、2010年に再上場。

・2010年代以降 – 自社ブランドの強化や新規事業の展開に力を入れ、徐々に業績を回復。また、2018年には、フランスの化粧品メーカー「アルティス」を買収するなど、グローバル展開を進めています。

以上が、カネボウの主要な歴史的出来事です。カネボウは、創業以来、常に時代に合わせた商品開発や経営戦略の転換に取り組み、多くのヒット商品を生み出してきました。今後も、新しい商品やサービスを開発し、世界中の消費者に愛される企業であり続けることが期待されています。

破綻の理由は?

カネボウの破綻の主な理由は、大規模な投資失敗による財務悪化でした。具体的には、1990年代に入り、欧州やアメリカの化粧品市場に進出するために大型の買収案件を行いましたが、これらの買収による多額の債務が重荷となり、経営不振に陥っていったとされています。

また、カネボウの事業は、化粧品や医薬品、食品、化学品など多岐にわたっていたことも負担となりました。経営陣の経営資源の分散化戦略が、事業の効率性を低下させ、業績悪化につながってしまったとも言われています。

これらの原因により、カネボウは2007年に負債総額1兆4000億円を抱えて破綻し、再建のために事業の一部を売却し、再建計画を実施しました。その後、カネボウは再上場を果たし、事業の立て直しに取り組んでいるところです。

カネボウ破綻”から19年…なぜ「余り物」は復活できたのか?

カネボウ破綻から19年が経ち、カネボウが再び成長を遂げた理由はいくつか考えられます。

まず、破綻後にカネボウは、自社ブランドの強化や新規事業の展開など、大胆な経営戦略を打ち出しました。特に、カネボウの看板商品である「コフレドール」を中心にした美容事業に注力し、海外展開やオムニチャネル戦略などにも取り組みました。このような経営戦略の転換により、カネボウは徐々に再生の兆しを見せ始めました。

コフレドール

また、カネボウが復活した理由として、経営陣の変化も挙げられます。破綻前は、創業家一族が経営を担っていましたが、再生のために経営陣を刷新し、外部からの経営者を迎え入れました。その結果、より現実的な視点で経営戦略を展開できるようになり、再生に向けた取り組みが加速しました。

また、消費者の嗜好の変化にもカネボウは対応しました。例えば、カネボウは若い女性を中心に支持される「オルビス」というブランドを展開し、健康や美容に対する意識の高まりに応えました。また、コフレドールのブランド力を活かし、日本の伝統文化や芸術をテーマにしたコスメシリーズを展開するなど、時代に合わせた商品開発にも注力しました。

これらの取り組みが復活の礎となり、カネボウは再び成長を遂げることができました。ただし、今後も常に時代に合わせた経営戦略の転換や商品開発に取り組むことが求められます。

カネボウ 復活

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

竹 慎一郎

コメント

コメントする

目次