いじめは止めよう!

いつの頃からか「いじめ」という言葉が世にはびこるようになった。

いわゆる昔のガキ大将はいなくなった。

ガキ大将は決して弱い者をいじめはしなかった。

いつも皆から一目置かれる存在でその存在があるだけで

皆は怖れたものだ。

守ってくれるのではなく、何もするわけではないかもしれないが、

皆のことを陰で監視してくれるような存在が学校の中には一人はいた。

中学生の頃から、テレビ番組の影響もあってか、学校での暴力問題や非行などが

よく取り上げられるようになったが、その頃にも私の中学にはガキ大将がいた。

ゆえに、大きな問題に発展しかかると、彼が登場しその場を収めてくれたのを良く覚えている。

しかし、もちろんガキ大将の存在は次第にいなくなっていく。

立場が逆転したのだと思う。

「偏差値」という言葉で学力を図り、学力偏重の時代が来たのも原因かもしれない。

良い大学に入り、大企業に務めれば将来安泰という風潮が芽生えていた。

皮肉にもそんな時代は今は消え去ったのであるが。

ずるい偏差値の高い人の弱さが分からない世代が登場してきた。

そのような人は、自らの能力を誇り、他人のことは考えずに行動してきた。

先生もそんな生徒には口出しできなくなった。

なにせ賢いのでそんなそぶりを見せることはない。

やがて、そんな人が群れをつくり一人をターゲットにしてからかいから陰湿ないじめへと発展していく。

それを制御するガキ大将の姿はもう消えていた。

私はいわゆるターゲットにされやすい性格だったと思う。

頭もそこそこ、気は弱く目立つこともない。彼らは私のことをからかいバカにしてきた。

しかし、私は誰も助けてはくれない中、暴挙に出た。

今ならナイフが登場するかもしれないのだが、私は素手でいじめっ子たちの中核に挑みかかった。

左手で相手の胸倉をつかみ、右手で思い切り相手の顔を殴った。

相手は本気になっている私に動揺したが数発殴り返してきたが、

気づけば相手を倒し、頭を床にぶつけて動けなくなるまで行った。

周りは大騒動になったが、誰も止めはしなかった。

顔に大きなあざはできたが、自分の主張を自分の手で行えたと思った。

顔のあざは時が経てば消えてなくなるのだが、その時の痛みは心に残り消え去ることはないだろう。

翌日から私へのいじめはなくなった。

私は、皆から危ない奴とみなされたようだが、中の良い友達はいつものように接してくれた。

小学生の頃のガキ大将が私にこう言った。

お前はよくやった。あれ以上やると相手の頭はつぶれていたかもな!!

彼は見ていてくれた。いざという時には止めに入ってくれたのではないかと思う。

しかし、暴力はだめだ。力に対して、力で対抗するのは、今だから言えるのかもしれないが、

良いこととは言えないだろう。

しかし、今のこの地球の生物である私たちは、力で相手を封じ込めようとしているのは明らかであろう。

経済的な制裁もあるにはあるが、いざとなったら核を使うかもしれない。

攻撃されたら攻撃をして自らの安全を守るのは当然だという国もある。

しかし、それでいいのだろうか。

いつか人間は自らその大原則を破り、核を使うかもしれない。

核を使ったのは自らが生きるためだと言うことであろう。

暴力や権力に勝つのは、言葉しかない。

それは、弱くなかなか効果は出ないかもしれないのであるが、

その言葉は大きくなり、暴力や不正な権力には勝てると信じたい。

今、いじめに合っている人がいたらこう言いたい。

逃げろ、と。

その場から一時的に逃げてもいいのではないかと思う。

逃げると言うのは死に向かうという意味ではない。

その場から避難することだ。

そして、また言いたい。

そのようないじめを見たら、皆で力を合わせてその子を守って欲しい。

いじめの黙認はいじめよりも深刻かもしれない。

黙認せずに、言葉で戦う道を探って欲しい。

自分だけ良ければそれでいいような世の中に生きている私たちは、日々誰かと戦っているのかもしれない。

いじめは許せない。

それを黙認してはならない。

皆で力を合わせて、言葉で勝つ方法を考えていきませんか。

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竹 慎一郎

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