後、少女Aとなる生徒は、卒業していき、私を待ち受けていたのが
報復ともとれる人事だった。私の希望は全く無視され、困難校への異動が確定する。
臭いものには蓋をしなければならない。誰もが思い出したくもない不祥事。
本校から麻薬?その事実を闇にほうむり去るには、その時の担任を動かせばいいのは
誰でもわかることだろう。
新任式を迎えるため、廊下に並んでいた私に一人の女の子が話しかけてきた。
なんと後、少女Aと勘違いしていた、生徒の妹だった。
これには驚いた。因果応報まだ事件は終わっていないのである。
その女の子は、体格も良く、笑顔で姉がおせわになりました、と言って
踵を後にした。私は1年生の担任になったが、その子は2年生、教えることもなかったが
廊下ですれ違う度に笑顔で話かけてくれ、私はその笑顔に救われる思いをしたものだ。
クラスはどのクラスも荒れ、毎週のように問題行動が起こり、その対処にかなりの
時間を費やした。睡眠障害はもう1年以上続いていたことになる。私の身体は限界に
達していた。
ある事件が起こった。2人とも恵まれた境遇にないため、2人が付き合っていると
知ってはいたが、予想通りのことが起こった。
女の子の妊娠である。
2人は産むと言って聞かなかったが、学校も保護者も堕胎を勧めた。
私は男の方に責任を取るにはどうすればいいのか、
長い時間を使い話あったが、
私は2人とも退学して、貧しくとも産むべきではないかと思っていた。
学校と保護者の考えと相反したが、私の思いは通じなかった。
16歳に子どもを育てるのは無理だと判断され、堕胎。
2人とも退学。私の張り詰めていた糸はぷツンと音を立てて崩れ、
私は学校に行くのを拒否ではなく、行けなくなった。
9月の半ば位だった。
それから1年半休職。
1年半後に復帰することになるのである。
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