子供の学校の役員に選ばれ、1年間PTA新聞つくりに
参加した。新聞つくりは、ど素人なので何をしたらよいか
不安でいっぱいだったが、編集長が市役所の広報誌の作成に
携わっている方だったので、その編集長の言われるままに
進めればよかった。月に1回、夜の7時から9時までの
時間は最初は苦痛だったが、次第にお母さん達とも話が
できるようになり、面白ささえ感じるようになった。
新聞つくりとは言っても、執筆を依頼して、レイアウト
するのが主な仕事であり、編集長の意見に従いながら
できた新聞は、自分は何もしないに等しいのであるが
無から有が誕生することの素晴らしさを体感した。
そして、更には、地元の新聞社のPTA新聞コンクール
で大賞を取り、報われた気もした。その反省会の2次会で
私は編集長の梅ちゃんと彼の行きつけのスナックに行って
歌い、語り楽しい時間を過ごしたのをよく覚えている。
彼は、その時、50歳で、長髪で50には見えないほどだった。
47,8の私は年も近く話もしやすかった。
梅ちゃんは、一青窈のハナミズキを必ず歌った。
その後も、実は2人でちょくちょく飲みに誘われて呑みに行ったものだ。
一青窈のどんなところが好きなんですか?
私は、聞いた。
顔が好きです。
歌の内容が好きだと答えが返ってくるとばかり
思っていたので、彼の答えは意外だったが、
私もです。
と答えたのが印象に残っている。
彼は悩んでいたのかもしれない。
子供が大学の推薦に落ちたこと。
奥さんとうまくいっていないこと。
知ってはいたが、彼はその話題に決して触れることなく
拓郎を次から次へと歌っていた。
imagine を私が1回歌うと、何度も歌わされた。
唯一英語で歌うことができる歌である。
世代は同じといっていいので、彼の好きな歌のほとんどは
私は知っていたので、彼と過ごす時間は居心地が良かった。
彼は何も話さなかった。
新聞つくりも、次の代に譲り、彼とも飲みに行くこともなくなった頃、
彼が近くの山で首をつって亡くなったことを聞いた。
通夜で奥さんが笑っている姿を見た時、直感的に家庭で何かが
起こったのかもしれないと思ったが、それは、以前からのことで
何が原因なのか、第3者にはただ想像するだけだ。
彼は、亡くなる2日前から、あのスナックで、朝まで飲んでいたと
後になって、ママさんから聞いた。
仕事上のトラブルはなかったそうだ。ママさんは、奥さんとの
不仲を話していたが、家庭内のことが原因だったのかもしれない。
50を過ぎて、梅ちゃんの気持ちが少しわかってきたかもしれない。
軽自動車をレンタルして、国道沿いの小さな山の中で彼は逝ってしまった。
imagine と拓郎を聞くと、彼の顔が頭によみがえる。
梅ちゃんとの時間は忘れない。いや、忘れられない。
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