大学生の頃、鈴木先生から卒論を見てもらった。結果は「良」だったが、卒業後、いつの間にか、大学の先生の一覧から、鈴木先生の名前が消えており、不思議に思っていたが、何ら調べもしなかった。それから10数年後、同じ大学の先生のエッセイの中に次の文が書かれているのを発見してしまった。
「人生とは死ぬことと見つけたり」というのが口癖で、飲むと『葉隠』をもじってよくそう言った。三十五歳を過ぎても死なない自分に驚いていたが、約十年後に心不全のためとうとう亡くなった。四十代なかばであった。」
亡くなっておられたのだ。体は不自由そうだったが、授業中に自分の病気のことは、一切話をされなかった。何も知らなかった。先生が亡くなられた年を過ぎてまだ生きている私は、まだ、はっきりと鈴木先生の授業を思い出す。その時はネットさえなかった頃で、PCは憧れだった。その後も私は研究に没頭し、金儲けのことなど頭にはなかった。毎日生きて、研究ができるだけでよかった。
無駄な時間だったのだろうか?ネットビジネスを少しずつ始めるとその頃の自分をよく思い出す。ネットが登場し、若い人たちが何億も稼ぐことが可能になった。既成の概念は崩壊し、教育も変わらなければならないだろう。英米文学が一体いくらになるのか?
しかし、後悔は全くない。なぜなら、文学によって命を救われたからだ。
益男先生の壮絶な戦いは終わった。
益男先生、安らかにお眠り下さい。
益男先生の論文が読みたくて仕方ありません。
まだ、私は文学という舞台で戦っています。
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