こんなことが思い出されます。
小学生の時、ある仲はそんなによくないクラスメートから言われた言葉です。
「お母さんが言ってたんだけど、小学生の頃に可愛い子は大人になって不細工になるんだって。」
その子は誇らしげに私の方を見ていましたが、私は初めその意味が分からなかったのですが、私はその子にとって可愛らしく映っていたのだろうと思います。私はその時自分のことが可愛らしいなどと考えることはありませんでしたが、不思議なことに全てのことは上手くいっていたと思います。
当然できて当たり前のことが他の人にはできないのが不思議でならなかった時期が小学生の時に確かにありました。
何も自慢している訳ではありませんが、ソフトボールの大会では、市の大会で優勝したこともありました。小学2年生からグローブを買ってもらい、毎週日曜日には父とキャッチボールをしていたものです。高学年に入ると、チームに入り毎日のように練習に打ち込んでいたものです。1番サード。とにかく出塁率が高かったので、1番だったのですが、私の先輩は、クリーンアップではなくて残念だな、と言ってくれたこともありました。
お恥ずかしい話ですが、私たちのチームは市でも強くいろいろなチームからの練習試合を申し込まれるまでになっていました。5メートル位離れた所の舗装道路からノックを受けても取れる位まで上達していたんです。学校では目立った存在であったのかもしれません。そんな私のことを良く思っていない子もいたのだと思いますが、その子も私に半ば嫉妬心を感じていたのかもしれません。
しかし、上手くいかなくなりました。中学生に入り、付き合う友達が増えるに従って優等生から劣等生へと変わっていきました。いわゆる思春期の病気になってしまったのでしょう。中2病という表現はその時の私を適格に表していたと思います。転落するのは早いものですが、その時は更に突き落とされる日が来るとは思ってもいませんでした。
本や音楽が友達にとって代わるようになりました。東京の大学に入り、帰省した時に昔の友達と会う機会もありましたが、その友達は私にこんなことを言ったのです。
「過去の栄光にすがってるんじゃねえ。」
その友達も私に対して先ほどの友達と同じように私のことを見ていたのだと気づかされました。また、こんなことも言われたことがあります。大学院の修士課程の時、同じ年の一つ学年が下の友達から、「もう同等だから言わせてもらうが・・・」
その友達は私のことを同等だと思っていなかったのでしょう。それが同等になって嬉しかったのだと思います。その時はもう少しで殴りかかる所でしたが、その友達とも距離を置くようになりました。帰省しても昔の友達とは会わなくなりました。会いたい友達はもう連絡がつかなくなっていました。友達は私の前から全ていなくなりました。というより自分から会わなくなったのですが。
その後、働き出して仲良くなる同僚もいたのですが、私のことは踏み台にしか思っていないことが分かりシヨックを受けたことも何度かありました。今は誰とも会っていないので友達は全くいません。リタイヤと同時に、年賀状は営業の年賀状しか来なくなりました。
でも、寂しいとは思わないのです。友達が欲しいとも思いません。裏切られるのが好きではないからです。大人になって言い寄ってくる人は決まって打算的に見えました。
これで人生が終わるのは後悔が残っています。別に裏切るだけの友達は必要ありませんが、またあの時、そう小学生の頃味合ったような自分が誇れるような旅をしてみたいと思っています。あの子が言ったように不細工な大人になってしまったようですが、この海の向こう側にある遥かなる世界がまだ私の目の前に広がっているように思えます。人は多くのものを背負って生きていかなければならないみたいですね。
まだ終わるわけにはいかないのです。
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