1924年5月1日 〜 1994年2月27日(享年69歳)|児童文学作家|東京都深川区出身
| 本名 | 藤原 一生(ふじわら かずお) |
| 生年月日 | 1924年(大正13年)5月1日 |
| 没年月日 | 1994年(平成6年)2月27日(享年69歳) |
| 出身地 | 東京市深川区(現・東京都江東区) |
| 職業 | 児童文学作家・日本けん玉協会設立者 |
| 代表作 | 『タロ・ジロは生きていた』(映画『南極物語』原作) |
三つの顔を持つ異色の人物―藤原一生とは
「南極物語の原作者」「日本けん玉協会の設立者」「キリスト教児童文学作家」。 この三つの顔を一人で持つ人物が、藤原一生(ふじわら いっせい)である。
1924年(大正13年)、東京市深川区に生まれた藤原は、幼少期に両親が失踪するという過酷な体験をした。 キリスト教の施設に引き取られ育てられた経験は、後の彼の作品の根底に流れる「信仰」「希望」「生命の尊さ」というテーマへと昇華されていく。
戦争を生き延び、職を転々としながら独学で文学を学び、やがて感動的な記録文学を世に送り出した。 さらに60代にして日本のけん玉文化を現代スポーツとして蘇らせるという偉業まで成し遂げた。 その生涯は、困難と情熱に彩られた一本の道そのものだった。
生い立ち―両親の失踪、キリスト教施設での幼少期
藤原一生は1924年5月1日、東京市深川区(現・江東区)に生まれた。 しかし幼い頃に両親が失踪するという、子供には到底理解しがたい出来事に直面する。 行き場を失った少年を受け入れたのは、キリスト教の施設だった。
施設での生活は厳しいものだったが、聖書の言葉や礼拝の習慣が少年の心に深く刻まれた。 後に彼がキリスト教関連の書店に長年勤務し、キリスト教の精神を軸にした児童文学を書き続けたのも、この幼少期の体験が原点となっている。
義務教育を終えると印刷所に就職し、やがて紙芝居の興行をするようになった。 昭和の下町で培われた「物語を語る力」は、後の作家活動の土台となった。
戦争と戦後―中国出征から独学、そして作家へ
第二次世界大戦が激化する中、藤原は中国戦線へ出征した。 戦地での体験は、生と死の境界を直視するものだった。 戦後生き還った彼は「なぜ自分は生きているのか」という問いを胸に、新しい生き方を模索し始める。
復員後、藤原はキリスト教関係の書店に就職した。 書店員として膨大な量の本に触れる日々の中、国内外の文学・思想・歴史を貪るように読み込んだ。 大学には通えなかったが、この独学の時期が彼を作家として鍛え上げた。
1952年(昭和27年)、書店を退職し作家として独立。 28歳での決断は、簡単なものではなかったはずだ。 しかし、語るべき物語が彼の中に溢れていた。
代表作『タロ・ジロは生きていた』―映画『南極物語』の原点
藤原一生の名を日本中に広めたのは、1959年(昭和34年)に刊行された 『タロ・ジロは生きていた』である。
同年1月14日、第3次南極観測隊が昭和基地に到着した際、前年に置き去りにされたカラフト犬15頭のうち、 「タロ」「ジロ」の兄弟2頭が極寒の南極を生き延びていたことが確認された。 この奇跡のニュースは日本中を感動させ、藤原はすばやく取材を重ねてこれを記録文学として執筆した。
人間への強い信頼を持ち続け、過酷な南極の自然を生き抜いた犬たちの姿は、 幼少期から「信仰」と「希望」を生き方の軸にしてきた藤原の精神と深く共鳴していた。 本書は子供たちに命の尊さと強さを伝えるとともに、大人の読者の心にも強く訴えかけた。
タロ・ジロの足跡と作品の関係
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1958年 | 悪天候により第1次南極越冬隊、カラフト犬15頭を昭和基地に置き去り |
| 1959年1月14日 | 第3次南極観測隊がタロ・ジロの生存を確認(7頭は死亡、6頭は行方不明) |
| 1959年 | 藤原一生『タロ・ジロは生きていた』刊行 |
| 1960年 | ジロ、昭和基地にて5歳で病死 |
| 1961年 | タロ帰国、北海道大学植物園で余生を送る |
| 1983年 | 映画『南極物語』(高倉健主演)公開。文部省特選・日本映画史上の大ヒット作に |
| 1987年 | 藤原一生『南極のカラフト犬タロ・ジロ物語』(講談社青い鳥文庫)刊行 |
映画『南極物語』は1983年に高倉健主演で公開され、文部省特選作品となり当時の日本映画界で空前のヒットを記録した。 藤原の原作が、数十年の時を経て改めて全国民に感動をもたらした瞬間だった。
タロの剥製は現在も北海道大学博物館に、ジロの剥製は国立科学博物館に保存されており、 今なおその物語は語り継がれている。
多彩な作家活動―児童文学・翻訳・名作の普及
藤原一生の作家活動は『タロ・ジロは生きていた』にとどまらない。 戦後日本の子供たちに向けて、知識・冒険・信仰・ユーモアを幅広く届けた多産な作家でもあった。
小学館の「少年少女世界の名作文学」シリーズでは、フィンランドの叙事詩「ワイナモイネン物語」やフランスの叙事詩「ローランの歌」、スコットの「アイバンホー」など、世界の古典文学を子供向けにリライトした。 コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの冒険」(集英社)なども手掛け、世界文学の普及に貢献した。
東映動画作品を題材にした『太陽の王子ホルスの大冒険』(小学館、1966年)では、アニメーションと児童文学の橋渡し役も担った。 また「ゴリアテごっこ」などキリスト教的モチーフを取り込んだ作品群は、日本キリスト教児童文学の重要な位置を占めている。
藤原一生の主要作品一覧
| 刊行年 | タイトル | 出版社・備考 |
|---|---|---|
| 1959年 | タロ・ジロは生きていた | 代表作・映画『南極物語』原作 |
| 1960年 | 警察犬出動 | トモブック社 |
| 1960年 | 発明はこうして生まれた | トモブック社 |
| 1965年 | とんちの童話集 | あかね書房(たのしい幼年童話) |
| 1965年 | ワイナモイネン物語(少年少女世界の名作文学1) | 小学館 |
| 1966年 | 太陽の王子ホルスの大冒険 | 小学館(東映動画作品) |
| 1967年 | ローランの歌(少年少女世界の名作文学2) | 小学館 |
| 1968年 | シャーロック・ホームズの冒険 | 集英社(少年少女世界の名作) |
| 1984年 | ゴリアテごっこ 藤原一生集 | 教文館(日本キリスト教児童文学全集) |
| 1987年 | 南極のカラフト犬タロ・ジロ物語 | 講談社青い鳥文庫 |
けん玉との出会い―「日本けん玉協会」設立という偉業
藤原一生のもうひとつの大きな功績が、1975年(昭和50年)5月5日の「日本けん玉協会」設立である。 当時の藤原は50歳。児童文学作家が突然けん玉の世界に飛び込んだように見えるが、そこには一本の太い筋道があった。
藤原はけん玉を「子供の遊び道具」ではなく「公平・平等な競技スポーツ」として再定義しようとした。 そのためにまず必要だったのが、統一された規格の「認定けん玉」の制定だ。 それまでメーカーや地域によって形状がバラバラだったけん玉を、競技として成立させるための標準規格を整備した。
さらに「段級制度」を設けることで、初心者から上級者まで目標を持って取り組める体系を作り上げた。 「けん玉道」という概念を提唱し、技の習得だけでなく精神的な成長を重視する思想を込めた。
藤原は全国を駆け回り、学校・公民館・イベント会場でけん玉の普及活動を続けた。 田無市(現・西東京市)に移り住んでからも、「けん玉おじさん」として地域に親しまれた。 1976年の地元紙『週刊東興通信』には「田無市在住のけん玉おじさん」として取材記事が掲載されている。
藤原が礎を築いた日本けん玉協会は今日も活発に活動し、国際大会も開催されるまでに成長した。 けん玉が今や世界的なスポーツ・パフォーマンスとして認知されているのは、藤原の先見の明があったからこそだ。
晩年の活動―「タロとジロをいっしょにさせる会」と地域貢献
1983年の映画『南極物語』公開後、タロ・ジロへの関心が再び高まると、藤原はすぐに行動した。 自宅を「タロとジロをいっしょにさせる会」の本部として開放し、タロ(北海道大学)とジロ(国立科学博物館)の剥製が同じ場所に展示されることを目指す活動を展開した。
1983年から1990年頃にかけて、この活動は複数の新聞でも報道された。 作品を書いて終わりではなく、作品に登場した命の記憶を後世に伝え続けることを、藤原は最後まで諦めなかった。
また、1977年から1983年まで田無市立図書館協議会委員を務め、地域の読書文化の振興にも尽力した。 子供たちが良い本に出会える環境を整えることへの関心は、作家としての本分と一体のものだった。
藤原一生の人生を年表で振り返る
| 年 | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1924年 | 0歳 | 東京市深川区に生まれる |
| 幼少期 | — | 両親が失踪。キリスト教施設に引き取られる |
| 義務教育後 | — | 印刷所に就職。紙芝居興行も行う |
| 1940年代 | 20代 | 第二次世界大戦に中国戦線へ出征・復員 |
| 戦後 | — | キリスト教関係の書店に勤務し独学で読書・文学を学ぶ |
| 1952年 | 28歳 | 書店退職、作家として独立 |
| 1959年 | 35歳 | 『タロ・ジロは生きていた』刊行 |
| 1975年 | 51歳 | 5月5日、田無市で「日本けん玉協会」を設立 |
| 1977年 | 53歳 | 田無市立図書館協議会委員に就任(〜1983年) |
| 1983年 | 59歳 | 映画『南極物語』公開・大ヒット。自宅を「タロとジロをいっしょにさせる会」本部に |
| 1984年 | 60歳 | 『ゴリアテごっこ 藤原一生集』(教文館)刊行 |
| 1994年2月27日 | 享年69歳 | 逝去 |
まとめ―藤原一生が遺したもの
藤原一生の人生は、「逆境から生き抜いた命」への深い共鳴に貫かれていた。 幼くして親を失い、戦地を生き延び、独学で作家になり、そして南極の過酷な環境を生き延びた犬たちの物語を書いた。
さらに50代を過ぎてからは、子供のためにけん玉を現代スポーツとして蘇らせた。 既成概念に縛られず、信念に基づいて行動し続けたその姿は、いくつになっても「新しいこと」に挑める人間の可能性を示している。
1994年2月27日に69歳で世を去ったが、彼の遺したものは今も生き続けている。 映画館で『南極物語』を観て涙した人々、けん玉の認定証を手にして喜んだ子供たち、そして今もタロ・ジロの剥製に手を合わせる人々の心の中に、藤原一生は確かに生きている。
藤原一生(ふじわら いっせい)|1924年5月1日生まれ、1994年2月27日没(享年69歳)| 児童文学作家・日本けん玉協会設立者|東京市深川区出身| 代表作:タロ・ジロは生きていた・南極のカラフト犬タロ・ジロ物語 ほか

コメント