藤原一生の作家活動は『タロ・ジロは生きていた』にとどまらない。 戦後日本の子供たちに向けて、知識・冒険・信仰・ユーモアを幅広く届けた多産な作家でもあった。
小学館の「少年少女世界の名作文学」シリーズでは、フィンランドの叙事詩「ワイナモイネン物語」やフランスの叙事詩「ローランの歌」、スコットの「アイバンホー」など、世界の古典文学を子供向けにリライトした。 コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの冒険」(集英社)なども手掛け、世界文学の普及に貢献した。
東映動画作品を題材にした『太陽の王子ホルスの大冒険』(小学館、1966年)では、アニメーションと児童文学の橋渡し役も担った。 また「ゴリアテごっこ」などキリスト教的モチーフを取り込んだ作品群は、日本キリスト教児童文学の重要な位置を占めている。
| 刊行年 | タイトル | 出版社・備考 |
|---|---|---|
| 1959年 | タロ・ジロは生きていた | 代表作・映画『南極物語』原作 |
| 1960年 | 警察犬出動 | トモブック社 |
| 1960年 | 発明はこうして生まれた | トモブック社 |
| 1965年 | とんちの童話集 | あかね書房(たのしい幼年童話) |
| 1965年 | ワイナモイネン物語(少年少女世界の名作文学1) | 小学館 |
| 1966年 | 太陽の王子ホルスの大冒険 | 小学館(東映動画作品) |
| 1967年 | ローランの歌(少年少女世界の名作文学2) | 小学館 |
| 1968年 | シャーロック・ホームズの冒険 | 集英社(少年少女世界の名作) |
| 1984年 | ゴリアテごっこ 藤原一生集 | 教文館(日本キリスト教児童文学全集) |
| 1987年 | 南極のカラフト犬タロ・ジロ物語 | 講談社青い鳥文庫 |
藤原一生のもうひとつの大きな功績が、1975年(昭和50年)5月5日の「日本けん玉協会」設立である。 当時の藤原は50歳。児童文学作家が突然けん玉の世界に飛び込んだように見えるが、そこには一本の太い筋道があった。
藤原はけん玉を「子供の遊び道具」ではなく「公平・平等な競技スポーツ」として再定義しようとした。 そのためにまず必要だったのが、統一された規格の「認定けん玉」の制定だ。 それまでメーカーや地域によって形状がバラバラだったけん玉を、競技として成立させるための標準規格を整備した。
さらに「段級制度」を設けることで、初心者から上級者まで目標を持って取り組める体系を作り上げた。 「けん玉道」という概念を提唱し、技の習得だけでなく精神的な成長を重視する思想を込めた。
藤原は全国を駆け回り、学校・公民館・イベント会場でけん玉の普及活動を続けた。 田無市(現・西東京市)に移り住んでからも、「けん玉おじさん」として地域に親しまれた。 1976年の地元紙『週刊東興通信』には「田無市在住のけん玉おじさん」として取材記事が掲載されている。
藤原が礎を築いた日本けん玉協会は今日も活発に活動し、国際大会も開催されるまでに成長した。 けん玉が今や世界的なスポーツ・パフォーマンスとして認知されているのは、藤原の先見の明があったからこそだ。
1983年の映画『南極物語』公開後、タロ・ジロへの関心が再び高まると、藤原はすぐに行動した。 自宅を「タロとジロをいっしょにさせる会」の本部として開放し、タロ(北海道大学)とジロ(国立科学博物館)の剥製が同じ場所に展示されることを目指す活動を展開した。
1983年から1990年頃にかけて、この活動は複数の新聞でも報道された。 作品を書いて終わりではなく、作品に登場した命の記憶を後世に伝え続けることを、藤原は最後まで諦めなかった。
また、1977年から1983年まで田無市立図書館協議会委員を務め、地域の読書文化の振興にも尽力した。 子供たちが良い本に出会える環境を整えることへの関心は、作家としての本分と一体のものだった。
| 年 | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1924年 | 0歳 | 東京市深川区に生まれる |
| 幼少期 | — | 両親が失踪。キリスト教施設に引き取られる |
| 義務教育後 | — | 印刷所に就職。紙芝居興行も行う |
| 1940年代 | 20代 | 第二次世界大戦に中国戦線へ出征・復員 |
| 戦後 | — | キリスト教関係の書店に勤務し独学で読書・文学を学ぶ |
| 1952年 | 28歳 | 書店退職、作家として独立 |
| 1959年 | 35歳 | 『タロ・ジロは生きていた』刊行 |
| 1975年 | 51歳 | 5月5日、田無市で「日本けん玉協会」を設立 |
| 1977年 | 53歳 | 田無市立図書館協議会委員に就任(〜1983年) |
| 1983年 | 59歳 | 映画『南極物語』公開・大ヒット。自宅を「タロとジロをいっしょにさせる会」本部に |
| 1984年 | 60歳 | 『ゴリアテごっこ 藤原一生集』(教文館)刊行 |
| 1994年2月27日 | 享年69歳 | 逝去 |
藤原一生の人生は、「逆境から生き抜いた命」への深い共鳴に貫かれていた。 幼くして親を失い、戦地を生き延び、独学で作家になり、そして南極の過酷な環境を生き延びた犬たちの物語を書いた。
さらに50代を過ぎてからは、子供のためにけん玉を現代スポーツとして蘇らせた。 既成概念に縛られず、信念に基づいて行動し続けたその姿は、いくつになっても「新しいこと」に挑める人間の可能性を示している。
1994年2月27日に69歳で世を去ったが、彼の遺したものは今も生き続けている。 映画館で『南極物語』を観て涙した人々、けん玉の認定証を手にして喜んだ子供たち、そして今もタロ・ジロの剥製に手を合わせる人々の心の中に、藤原一生は確かに生きている。
藤原一生(ふじわら いっせい)|1924年5月1日生まれ、1994年2月27日没(享年69歳)| 児童文学作家・日本けん玉協会設立者|東京市深川区出身| 代表作:タロ・ジロは生きていた・南極のカラフト犬タロ・ジロ物語 ほか
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