この「いのちの歌」は、竹内まりあの大事なと言っていい曲の一つである。いのちとは何かと言う問いにこれほどまでに適切に答えてくれた詩はなかなか見つからないのではないだろうか?
卒業式や合唱、また多くのシンガーのカバー曲となっているのも不思議なことではない。それほど多くの人たちがいのちとは、何故生きるのかという問いに直面した時、この曲がその答えを導き出してくれるのではないかと思う。
この歌を歌うということは、いのちそのもののあり方を熟慮しなければ歌うことは出来ない。それゆえ、カバー曲の中にはうっぺらなカバーがあることも否定できないことである。
茉奈佳奈のカバーが優れている。14年前に配信され444万再生という数字に表れているように茉奈佳奈の歌にはその想いが伝わってくる。
広い舞台の上で、2人オーケーストらの前で歌う彼女たち。
いのちの深さを優しい表情で丁寧に歌う姿には多くの人が魅了されたと思う。
私もこのカバーはよく聴いていた。
![](https://sekaiend.work/wp-content/uploads/2025/02/ce760158480d11c76ff85e6e6b19ebc8.jpg)
さて、菅野恵のカバーはどうであろうか?
まず、考えなければならないことは、これほどまでに多くのカバー曲がある中で、菅野恵がこの曲を選んだということにある。
この曲を歌うことは、いのちについての深い洞察力が必要になると思われる。菅野恵は、いつもの通り、背景には左手に2つのドライフラワー、右手には3つの小さなオブジェ、背景はブルー。
顔はコンデンサーマイクが、顔の下半分を隠している。白い何の飾り気のないトレーナーを着ている。
茉奈佳奈とは違い笑顔は見せない。
静かに、静かに、心からの声が歌の中に込められている。
それがこの歌の特徴を際立たせ、菅野恵にしか出来ない表現のスタイルとなっている。
いつかは誰でも この星にさよならを
する時が来るけど
いのちは継がれていく(いのちの歌)
死に対してこのような詩を書いた竹内まりあの才能には驚くばかりであるが、この一節は、死をも恐れることはないと人に感じさせる強いメッセージを持つ。
菅野恵は、その感情を抑えるかのように歌に自分の感情を見事に表現していると思う。
これからの菅野恵の活躍が期待される所である。
まるで高校生のような表情をしているが、いのちを歌うには十分な歌唱力とその表現力を持っていると私は思う。
コンデンサーマイクを通して、彼女の息つかいが伝わってくる。
臨場感あふれる演出となっている。偶然の産物であろうが。
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