絶望からの脱出。

公園の下

これまで、2度精神病院に入院した。精神病院と聞くと牢屋みたいな自由を束縛された怖い印象を持つ人が多いと思われるので私が経験した入院生活を少し紹介し、ある種の誤解を解ければ良いと思う。

1度目の入院は1か月程度、2回目の入院は3ヵ月程度、その間は4,5年といったところだろうか。

精神病院の入院には、強制的に入院させられるも場合もある。それはその人の安全が最優先されるケースであるが、普通は任意の入院である。自分の意志で入院するもので、期間は3ヵ月。それ以上は入院できない。長くて3ヵ月なのである。任意入院なので、医師は3か月の入院を普通想定し、入院中のプログラムを組むのだが、もちろん嫌なら早く出ることも許されている。

閉鎖病棟と開放病棟がある。閉鎖と聞くとやはり怖い印象があるかもしれないのだが、開放よりも閉鎖を選ぶ人もいる。閉鎖の方が制限されるのであるが、その方が気が楽だというのだ。私は、2度とも開放病棟の個室であった。3食決まった時間に食事が個室に運ばれてきた。個室であっても皆が集うロビーがあり、そこで食べる人も多かったが、私は自分の部屋で食べていた。あまり、人との接触をするのが苦手であったせいもある。

朝は8時の朝食を食べ、昨日9時に預けた携帯を持ち、9時からは自由である。外に行こうが自由なのだ。一応外出先は、ノートに書くようにはなっていたが、看護師もいちいち確認することはなかった。

開放はほったらかし状態と言っても言い過ぎではない。12時のお昼に帰ってくればいいのである。12時のお昼を食べると、夕方5時までに帰って来ることになっていた。6時に夕食を食べ、10時には消灯であった。消灯前に携帯は預けることになっていた。

開放と閉鎖の間にドアが閉められていて、閉鎖の場合は許可なくては出かけられないようだったが、私の主治医は許可が認められないことはないよ、と言っていたが、閉鎖よりも自由がある開放の方が私には合っていたと思う。

私の日課は、お昼までは病棟内(主に個室)にいて、お昼を食べて自転車で散歩していた。パソコンがないので、ネットカフェで過ごすこともあった。とにかく何もすることはない。診察はこちらが希望しなければ、ほったらかし、2週間に一度位主治医から呼び出され、体調の変化がないか聞かれるのみだった。テレビは1枚1000円位で、カードを買って自由に見ることはできたが、私はテレビの音は苦手なのでほとんどテレビを見ることはなかった。その代わりにラジオを聞いていた。NHKの第2放送の番組を良く聞いていた。高校の講座などがあり普段は聞きもしない文化に触れることも出来た。主に空いている時間は本を読んだ。活字を読むことは病気が進むと困難になるのだが、症状が落ち着いてくるとどんどん読めるようになる。読み終わったら、お昼過ぎから外出し、100円で買えるお店で数冊買うのが日課であった。

困るのは、お風呂である。男性の日と女性の日があり、週3日しか入れない。小さい湯船もあったのがだが、私はそんなゆっくりと入るつもりはなく、(汚いという意味ではなく、次の人が待っているかもしれないので)、簡単にシャワーで済ませるだけだったが、症状が重くなるとお風呂も入れなくなるのだが、私は1日に一回はシャワーを浴びたかった。しかも、土日はお風呂がない。

土日の外泊の許可も容易にできたので、家に帰る人も多かった。私も、お昼に外出し、近くの温泉にもよく通った。家に帰り、シャワーだけ浴びて帰る日もあった。でも、長く入院していると、女性の日に、遅く入っている男性もいた。訳を看護師に聞くとアトピーがひどいので許しているという。これを聞いて、私も真似をして、優しい看護師さんに頼んで10分であがるからと約束して入ったこともあった。

そして、食事である。これでもかという位に味のない食事であり、キュウリばかり食べさせられている感じもした。それゆえ、甘いチョコレートが長い入院には必需品だと感じたほどであった。お酒はもちろん飲めないのだが、ビールが飲みたくなると、レモンスカッシュやコーラを一気飲みして過ごしていた。

そんな生活を送っていると人寂しくもなる。

煙草を吸える小さな部屋もあり、私は普段、煙草は吸わないのであるが、入院中は1日数本であるが吸っていた。タバコを吸っていると必ずそこにいる人との短い会話が始まる。そこではいろいろな情報を手に入れることもでき、短い間ではあるがある種の一体感も生まれた。皆、同じなのだ。そこでは色んな愚痴が飛び交う場所でもあった。私は夜消灯後に煙草を吸いに行った。誰か1人は必ずそこにいた。夜の2時までに、追加の眠剤を貰うことも出来たので、2時前によく煙草を吸いに行ったものだ。その時間になると、決まって現れる人がいた。その人が言うには、私たちは夜俳諧する幽霊のようですね、と言ったことは印象に残っている。

1年間に1回位は入院したくなる。そこでの日々は、社会から隔絶された社会かもしれないが、何かも忘れて過ごすことが出来る時間でもある。何もしないできちんとご飯を食べていればたいてい3ヵ月で満足して退院するものだ。入院費は、収入に応じて違うのであるが、個室でも食事付きで1日、3000円位だったと思う。もちろん、保険から全額出されるのであるが、保険会社の人にも申し訳ないので、もう多分入院はしないだろう。退職し2年。年金も出たので最低限度の生活はできる。

問題はこれからだ。障害者雇用で働ける人もいるにはいるが、私には出来そうもない。金さえあればとよく思う。何かできることから始めたいと思う。ネットは全世界に広がっている。少し英語が出来るので、海外からの翻訳の依頼や日本人を必要とする外国の人とネットでコンタクトを取り、わずかではあるがお金が入ってくると嬉しい。

しかし、これで私の人生が終わってしまうのはあまりにも耐えられない。

復讐心はなかなか消えさるものではないが、まだ人生を終わるには少し早い。

私にしかできないことがあるはずだ。そのためにネットは大いに役にたつ。

人生の一発逆転劇はこれから起こることを祈るばかりだ。

もし、皆さんの中で、精神病院という存在が怖いものだと思っているとしたら、そこは一時的な避難所。決して怖い所ではないと私の場合であるが、そう思う。

そして、もしあなたが精神を病んで生きるのに絶望し、死が目前に迫って身動きが出来なくなったら、入院という手もあると思う。偏見は未だに付き物ではあるとしても。

公園の下

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竹 慎一郎

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