はじめに:建築界のノーベル賞プリツカー賞を受賞した世界的建築家
磯崎新(いそざき あらた)は1931年7月23日に大分県大分市に生まれ、2022年12月28日に91歳で逝去した日本を代表する建築家です。2019年には建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞し、日本人として8人目の受賞者となりました。
磯崎は理論と実作の両面で世界をリードした「知の巨人」として知られ、国内外で100以上の建築作品を手がけました。建築設計だけでなく、著述家、思想家として多くの論考を発表し、建築論を展開して戦後の建築界を牽引しました。その活動は建築にとどまらず、思想、美術、デザイン、文化論、批評など多岐にわたる領域で影響を与え続けた稀有な存在でした。
現在、水戸芸術館では磯崎の没後初となる国内大規模回顧展「磯崎新:群島としての建築」が2026年1月25日まで開催されています。本記事では、この展覧会開催を機に、磯崎新の生涯、建築思想、そして代表作品について詳しく紹介します。
磯崎新の生涯:師・丹下健三から独立、そして世界へ
前衛的な土壌での青春時代
磯崎は大分市の「新世紀群」という絵画サークルの活動から始まりました。そこは後にネオ・ダダで活躍した吉村益信、赤瀬川原平、風倉匠らも在籍した前衛的土壌でした。この経験が、後の磯崎の建築家としての視点に大きな影響を与えることになります。
丹下健三に師事した修業時代
1954年に東京大学工学部建築学科を卒業後、磯崎は丹下健三研究室に入り、黒川紀章らとともに「東京計画1960」に関わりました。この時期、ネオ・ダダは新宿百人町の吉村アトリエを拠点に反芸術的活動を展開しており、磯崎もたびたびそこを訪れていました。若き日の磯崎は、建築と前衛芸術の境界を行き来しながら、独自の思想を形成していきました。
独立と初期の代表作
1963年、磯崎は丹下健三研究室を退職し、磯崎新アトリエを設立しました。1967年には大分県立大分図書館が竣工し、これが36歳の磯崎の初期の代表作となりました。この建物は後にアートプラザとして改修され、現在も大分市のシンボル的存在として親しまれています。
1970年代:美術館建築への展開
1975年は磯崎にとって多産な年で、著書『建築の解体』を刊行するとともに、群馬県立近代美術館、北九州市立美術館などを完成させました。この時期、磯崎は美術館建築の名手としての地位を確立していきます。
1980年代:ポストモダン建築の旗手として
1983年のつくばセンタービル竣工により、磯崎はポストモダン建築の旗手と目されるようになりました。この作品は日本のポストモダン建築を代表する建築として、現在も高く評価されています。
晩年:世界的活動の拡大
1980年代以降は、ロサンゼルス現代美術館、ブルックリン美術館など海外の建築も多く手がけ、カタール国立コンベンションセンター、ミラノアリアンツタワー、上海シンフォニーホール、湖南省博物館など、中国や中東、ヨーロッパへと活動の場を広げました。
2022年、磯崎は終の棲家とした那覇市の自宅で91歳の生涯を閉じました。

ポストモダン建築とは何か:磯崎新の建築思想
モダニズムからポストモダンへ
磯崎は世界の建築状況を整理し、改めて総合的な文化状況の中に位置づけ直し、全体的な見通しと批評言語を編纂した役割において、ポストモダン建築を牽引した建築家の一人です。
ポストモダン建築とは、合理性や機能性を重視した近代建築(モダニズム)に対する批判として生まれた建築様式です。磯崎の得意とする幾何学的なデザインを多用するほか、ポストモダンの特徴である歴史引用を行い、隠喩や象徴をちりばめたマニエリスム的な作品を生み出しました。
「プロセス・プランニング」理論
磯崎は「プロセス・プランニング」という理論を確立しました。これは時間的な推移の各断面が常に次の段階へ移行するプロセスだとするもので、発注側の与件が動き続けることが多い地方都市の公共建築物の設計において、建築家の立ち位置を主体的に語り直したものです。
「群島(アーキペラゴ)」という概念
磯崎は著書『建築における「日本的なもの」』において、グローバリゼーション状態のなかに沈殿物が発生し、これが島をつくり、世界は無数の凝固の集合体としての群島となるだろうと記しています。この「群島」という概念は、磯崎の後期の思想における重要な空間概念となりました。
批評活動と建築実践の融合
磯崎の活動がつねに批評的な活動を伴っていた事実は、建築家としての磯崎新自身の建築設計や都市計画といった実務的な仕事を、建築史上の特定の動向、様式に位置づけることを著しく困難にさせてきました。これは裏を返せば、磯崎が単なる建築家の枠を超えた存在であったことを示しています。
磯崎新の代表作品を解説
大分県立大分図書館(現・アートプラザ)1967年
磯崎の初期の代表作で、1997年に改修されアートプラザになりました。計画にあたって「プロセス・プランニング論」を確立させた作品で、ロビーでは天窓より上から、観覧室では水平窓より横からとあらゆる角度から光が室内に入り込む計画となっています。
現在は磯崎新建築記念館として、3階に磯崎の建築作品の模型や資料を常設展示しています。
群馬県立近代美術館 1974年
群馬県立近代美術館の設計は1971年に磯崎新に委託されました。磯崎のコンセプトでは、1.2メートルを基準とした立方体フレームの集合体が、美術作品を取り巻く額縁に喩えられた空洞として想定されており、美術作品が通過する空間は流動的に変化し、増殖可能なものとされています。
現建築は一辺を12メートルとした立方体フレームの集積を基本構造とし、外壁のアルミパネルやガラス面グリッドの一辺は120センチメートル、エントランスホールの壁面、床面の大理石パネルは一辺60センチメートル、床のタイルは一辺15センチメートルの正方形というように、構成要素は全て12メートルを基準とした寸法の正方形となっています。
増殖する立方体という考えは、1994年のシアター棟、1998年の現代美術棟増築によって立証されました。この建築によって、1975年、磯崎新は第27回日本建築学会賞を受賞しました。
つくばセンタービル 1983年
つくばセンタービルは建築家・磯崎新の代表作であり、日本のポストモダン建築の代表的な作品とされています。1983年6月に竣工・オープンし、ホテル棟、コンサートホール、商業店舗が入ったビル、広場などからなる複合施設で、研究学園都市のシンボル的存在です。
ローマのカンピドリオ広場を反転した広場があり、カンピドリオ広場は丘を登った場所にあり中心に銅像が建っているのに対し、つくばセンタービルでは広場が低い位置にあり中心は噴水です。
磯崎は著書の中で常々「廃墟的な建築」を意識していました。この建物の設計でも廃墟化したドローイングを発表しています。建築とは時間とともに変化するものだという、磯崎の哲学が込められた作品です。
水戸芸術館 1990年
水戸芸術館は水戸市制100周年を記念し、1990年に開館した複合文化施設です。特徴的な塔を持つこの建物の設計は、磯崎新が手がけました。内部には、コンサートホールATM、ACM劇場、現代美術ギャラリーの3つの独立した施設があり、音楽、演劇、美術の3部門がそれぞれに自主企画による多彩な事業を展開しています。
六角形のコンサートホール、円筒形と立方体を組み合わせた劇場、ピラミッドが載った現代美術ギャラリーなど、それぞれ個別にデザインされた特徴ある外観を持つものの、内部は繋がったひとつの建築になっています。
水平に連続する建物群は威圧感がなく、同じ石材やタイルが仕上げに使われているため自然な統一感が感じられます。1990年3月に開館した水戸芸術館は、画一的な近代建築を批判し、建築の根源的価値を再考するポストモダン建築の理念と実践を結実させた磯崎の代表作のひとつです。
海外での主要作品
重要作としては、ロサンゼルス現代美術館(1987)、アリアンツタワー(ミラノ、2014)、カタール国立コンベンションセンター(ドーハ、2011)、上海シンフォニーホール(上海、2014)などが挙げられます。
磯崎新の多面的な活動
建築展・美術展のキュレーション
世界各地の建築展、美術展のキュレーションや、コンペティションの審査委員、シンポジウムの議長を務めました。代表的な企画・キュレーションに「間-日本の時空間」展(1978-1981年)、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館コミッショナー(第6回~8回)などがあります。
1996年には、同展日本館展示「亀裂」で金獅子賞を受賞しました。建築思想の国際会議「ANY会議」を10年に渡り企画しました(1991-2000年)。
著述活動と建築論
1971年に『空間へ』を刊行して以降、多くの主著・共著を手がけ建築論を展開しました。2013年からは過去半世紀に渡る論述をまとめた『磯崎新建築論集』(全8巻)を刊行しました。
著書に『建築における「日本的なもの」』(新潮社、MIT Press)など多数があります。
建築模型の制作
磯崎は建築模型を数多く制作している建築家としても知られています。1990年代にロサンゼルス現代美術館を皮切りに、国内外で大回顧展が行われました。現在それらの模型や資料は大分市のアートプラザの磯崎新建築展示室で順次公開されており、磯崎建築を知る上で最も重要な拠点となっています。
建築家の育成と発掘
磯崎は無名だったザハ・ハディドや安藤忠雄、伊東豊雄らを国際舞台に導いた現代建築の目利き・プロデューサー的な役割も特筆されます。後進の建築家たちへの影響も計り知れないものがあります。

展覧会「磯崎新:群島としての建築」について
展覧会の概要
現在、水戸芸術館現代美術ギャラリーでは、2022年末に逝去した建築家・磯崎新の没後、国内初となる大規模回顧展「磯崎新:群島としての建築」が開催されています(2025年11月1日~2026年1月25日)。
展覧会の構成
「群島としての建築」と題した本展では、決して単一の領域にとどまらない磯崎の活動を「群島」の様に構成します。「都市」「建築」「建築物」「フラックス・ストラクチャー」「テンタティブ・フォーム」「建築外(美術)」をキーワードに、建築模型、図面、スケッチ、インスタレーション、映像、版画、水彩画などの様々なメディアを通じて、磯崎の軌跡を辿ります。
主な展示内容
本展では群馬県立近代美術館などの70年代の主要建築をシルクスクリーンとして遺した「還元」シリーズ(1983年)、そして1980年代後半から1990年代前半に手がけた建築をモチーフにした24点の水彩画(1994年)が披露されます。
また磯崎は、欧州、アメリカ、アジアなど海外を旅した際、古典建築やモダニズム建築などを訪れ、その姿を70冊以上にもおよぶスケッチブックに記しています。これらスケッチブックには、旅の記録だけではなく、当時手掛けていた建築や展覧会、そして執筆活動などの構想も残されている貴重な資料です。
水戸芸術館自体も展示作品
本展では、この水戸芸術館を出品作品のひとつとして「展示」します。あわせて刊行する『水戸芸術館ガイドブック』(監修・執筆:五十嵐太郎)を手に館内外を巡れば、磯崎建築をリアル体験できます。
展覧会詳細
- 会期:2025年11月1日(土)~2026年1月25日(日)
- 開場時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
- 会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー
- 入場料:一般900円、高校生以下・70歳以上無料
- ゲストキュレーター:五十嵐太郎、ケン・タダシ・オオシマ、松井茂
磯崎新の建築思想が現代に遺したもの
磯崎新の建築思想は、単なる建物のデザインにとどまりません。建築を通じて、時間、空間、文化、歴史といった多層的な概念を統合し、新たな価値を創造することを追求しました。
特に日本では丹下健三以降の世代にとって、1970年以降の建築言説の展開の大凡は磯崎によって編成されてきたと見なされています。その影響は建築界だけでなく、美術、思想、文化論など幅広い分野に及んでいます。
ポストモダン建築が一つの様式として過去のものになった現在でも、磯崎が提起した問い——建築とは何か、建築家の役割とは何か——は、現代の建築家たちに問い続けられています。
おわりに
磯崎新は、建築家という枠を超えて、20世紀後半から21世紀初頭の文化状況を牽引した思想家でした。その活動は建築、美術、批評、教育など多岐にわたり、後進に与えた影響は計り知れません。
水戸芸術館で開催中の「磯崎新:群島としての建築」展は、この巨人の全貌に触れる貴重な機会です。磯崎が設計した水戸芸術館という空間で、彼の思考の軌跡を辿ることができるこの展覧会は、建築に興味がある人だけでなく、現代文化に関心を持つすべての人にとって意義深い体験となるでしょう。
磯崎新の建築は、時代を超えて私たちに問いかけ続けています。建築とは何か、空間とは何か、そして私たちはどのように生きるべきか——。その問いに向き合うことこそが、磯崎の遺産を受け継ぐことになるのではないでしょうか。

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