先生への手紙 小学2年生の思い出。

小学2年生の頃。

今から遠い昔のこと。

良く記憶していることがある。

毎日の宿題は作文だった。

大きなマス目の入ったノートに何でもよいので書いて提出するという宿題だった。

宿題なので毎日提出しなければならないと思い毎日、もちろん休みの日は除くが、提出を続けた。毎日題材があるとは限らない。特別何も起こらない日の方が多いので何を書けば良いのか毎日考え書く習慣がついたと思う。庭にはナンキンハゼの木があったので、それを題材に詩を書いたものだ。また、ある時は、空を眺めて移り行く雲のことを詩にした。詩は短くて書きやすいと思ったが、今考えると恥ずかしくて見られたものではないと思うが、その時はとにかく学校のある日には毎日書き続けた。宿題なので、やらなければならないものだと思っていた純な私は何も疑問に思うことなく書き続けた。

そして、ある日気づいた。クラスのほとんどの者は出していなかったのを。先生はやせた小柄の先生だったが、私のことを皆の前でほめてくれたのだ。私が毎日欠かさず提出していることを。出すのが当然だと思っていた私は、ほめられたてうれしかったが、皆のいい加減さを感じると共に真剣に書き続けたことが少し馬鹿らしくも思えた。毎日提出していたのは私だけになっていたようだ。小学2年生の頃に、1年間書き続けたのは、将来ライティング力をつけようなどと考えることもなく、他ならない宿題を提出するための半ば強制と感じていたからであるが、後に文章を書くときにはあの小学2年生の頃がよく思い出される。

給食の時間に放送が入るのだが、先生は私にクラスを代表して、作文を放送室で読むようにと言われた。放送室は小さな部屋で2人も入れば定員オーバーという広さだったが、マイクの先には全校生徒がいることはよく分からなかった。

私の声が全校生徒の耳に流れた。

給食を食べながら私は何の意味もないかのように思われる、原稿用紙1枚にも満たないようなものだったと思う。私は自分のあだ名について書いた。私は、竹なので、「たけのこと」皆から呼ばれていた。たけのこ、少し正確に言えば、「たけんこ」が正しい。たけんこと呼ばれて嫌な気持ちは感じないことがなかったので、あだ名のこととそう呼ばれての感想だったと思う。無事に私の役目を果たし、教室に入るやいなやみんなが一斉に、たけんこを連発して出迎えてくれた。私はみんなオーバーだなあと感じていたが、その日以来、他の学年の上級生からも、たけんこだと一時言われたのを記憶している。私の方を指でさして、くすくす笑っているのによく出くわすことになるが、嫌な気持ちどころか有名人になったような気すら覚えたものだ。

そう、言葉の力は大きい。あの狭い放送室から全校生徒に私の声が届いたように、今はこの6畳の部屋からブログの作文を書いている。私の声は、果たして届くのだろうか。誰も読んでくれないのでは。それでもかまわない。もし、この文章が誰かお一人でも目に留まるとしたらこんなに嬉しいことはない。もちろんこの文章はもうあの時とは違って強制されて書いているのではない。では何のため?誰かに私の気持ちに共感してくれる人を探しているからだと思う。

何度も本によって救われた。もし私の言葉に共感してくれる方が一人でもいたらそれでも書き続けていきたいと思う。あの時の担任の先生は、必ずコメントをつけて返してくれた。その時は考えもしなかったが、今思うと先生との手紙を毎日書き続けていたようなものだと思う。

そう、先生は、私のことを認めてくれたことは疑いない。

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竹 慎一郎

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