「海辺のカフカ」村上春樹 レビュー ナカタより愛をこめて

海辺のカフカ

歌舞伎座で「さんにんきちさ」が始まるのを待っていた。幕が上がるまでの間、横に座っていた菅泰男先生が本を読んでいる。英語の本だ。思い切って私は先生に聞く。「先生、お邪魔してすいません。何の本を読んでいるのですか。」菅先生は、何の躊躇もせず、読書を中断し、その本の表紙を見せてくれる。The remain of the day と書かれているが、そのタイトルを知った所で何も分からない。困ったように見える私に菅先生は、いしぐろかずおの本でイギリスに住んでいる日本人だと聞いたが何のことやらさっぱり分からない。この作家は面白いよ。覚えておきなさい、と言われ直ぐにカバンを開けてその名とタイトルを、忘れてしまうのがこわくてメモした。

いしぐろかずおがノーベール文学賞を取るはるか前のことで、もちろんその時には訳も出ていなかった。「さんにんきちさ」を見ていると、私にはその筋すら追うことが出来なかったが、時折、菅先生が私の腕を先生の腕で軽く叩いて、次に舞台が反転して面白いよと、小声で教えて頂く。そしてその通りになる。菅先生は、英語の教授なのに歌舞伎や能にも造形が深く何度も何度も観ているのだろうと思った。このような舞台を観て、横には菅先生がいてこんな体験はそう出来ることではないと、少し緊張しながら、そんな機会が自分に与えられたことに感謝したのをはっきりと覚えている。

村上春樹は日本を代表する作家であることは疑いないことだけれども、私には彼の世界観と言うべきか、あるいは彼の文体や思想、あるいは彼の生き方、あるいは彼が存在しその思考を脳に伝達し文字を書くそのやり方が分からずに過ごして来た。ノーベル文学賞の候補にも選ばれている位なので気にならないはずはないのであるが。あのいしぐろかずおに続く作家かもしれないと、菅先生のあの時の言葉が頭から離れることは出来ずにいたのは疑いようもない事実である。

思えば、「1984」や「つくる君」を読んだのはもう何十年も昔のことのように思われる。

少なくとも、30歳を越える前は彼の存在すら分からずにいたと思う。記憶を遡るために、ネットで検索してみる。

村上 春樹(むらかみ はるき、1949年昭和24年)1月12日 – )は、日本小説家翻訳家

京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市芦屋市に育つ。早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1987年発表の『ノルウェイの森』は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり[2]、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。代表作に『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』などがある。それらの作品は、50ヵ国語以上で翻訳されている。

日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している[3]2006年フランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞し[4]、以後日本の作家の中でノーベル文学賞の最有力候補と見なされている[注 1]。精力的に、フィッツジェラルドチャンドラーの作品などを翻訳。また、随筆紀行文ノンフィクション等も多く出版している。村上春樹 – Wikipedia

Wikipediaの情報を見る。私の一回り以上の年だ。もう73歳かと思う。マスコミに顔を見せることはないので、60も半ば位だと思っていたが、大間違いだと分かった。1979年でデビューとある。私が16の時だ。24歳の時、「ノルウェイの森」なので、その時の彼の存在はその頃から始まるということが分かる。もちろんのこと、「ノルウェイの森」すら読んでいない。恐らく、20年位前に、「1Q84」と「つくる君」を読んだことが分かる。「1984」の9は、Qだと今更のように気づいた。この2つの本を読んだが、意味が全くといいほど分からなかった。意味も分からぬまま読み進めていくのは苦痛であった記憶があるが、この世界観が村上春樹だと思うようになった。英語関係の短編集も数冊読んだ記憶があるが、ジャズやクラシック、ウイスキーの名前が出てくるのでいろんな高尚な趣味があるのだと感じていた。彼は父母共に国語の先生だったと分かり、恵まれた環境で過ごしたのだろうと思う。ふとしたきっかけで、「一人称単数」「東京奇譚集」を読み、猿と話が出来る話には感動すら覚えた。短編が面白い作家はそうはいない。

そして、頭の中に20年位前飲み会の席で、同僚の英語のH先生が、村上春樹の話を熱く語り、私は全くついていくことが出来ずに申し訳ない感情を抱き、その感情はそのまま風化することもなく今でも残っているのに気づく。多分その先生から聞いた話から「1Q84」「つくる君」を読んだのではないかと推察する。しかし、その難解さから自然と遠ざかっていたのだが、ここ最近になって、「猿」の短編を読んで、初期に当たる長編を読んでみようとしたのだと、自分でははっきりと意識した訳ではないのだが、多分そうだと思う。菅先生とH先生の言葉は忘れることは出来なかったという訳である。英米文学の専攻なのに、いしぐろかずおも知らず、またアメリカでも影響力のある村上春樹のことも知らないでは、菅先生に申し訳ないと思っていたのだろうと思う。

「海辺のカフカ」はそのような理由から手に取り読み始めることになる。文庫で上下あるが、上巻まで読み終わり、直ぐに下巻にいかずにこの文を書き記しておこうと思った。15歳の少年がこれからどのような道をたどることになるのか興味が湧いてくるのが分かる。まさに、思春期の少年にはお勧めの本であると思うが、60を目前とした私でもその面白さは感じることが出来る。恐らく、15歳の私が読んでも分からない箇所が多いと思われるが、不思議と今はこの小説のメタファーである現実世界が、私の頭に風が木の葉をサラサラと揺らすように入ってくるのを感じる。父は亡くなった。家を出て行った母と姉のことも気になる。あのオイデイプスの話は恐らく関わってくるのではないだろうか。また、ナカタさんは中野区から出て西へ向かう。カフカ君との出会いのことを想像してみる。私にはその出会いがどのようにして起こるのか想像しても分からない。オイデイプスの悲劇的な結末が頭によぎるが、これからどう展開していくのだろうか。

さて、下巻に移ろうと思う。

ナカタです。私が起こしてしまった事件のおかげで少しずつ、ことばが分かるようになりました。

それとは引き換えにネコさんたちのことばはさっぱりわからなくなってしまいました。

ナタカは思うのですが、星野さんにもし会えなかったらその計り知れない止まった時間は止まったままであったにちがいないと思っています。

なぜナカタのようなもじも読めないような者にそのような大役がまわってきたのかは分からないままですが、今から思えば私にはピッタリの役を頂いたと思っています。

ナカタは西へと向かいます。星野さんが親切にも私を導いてくれました。星野さんには何とお礼して良いのか分からないほど感謝でしかありません。

ナカタは何かにおびき寄せられる運命を背負っていたと思います。その運命が何だったのかははっきり申し上げて、何なのかは今でも分かりません。

ただ、言えることは開いてしまったドアのようなものを閉めなければならないと思いました。ただ、それだけです。閉めなければ、苦しんでいる人は苦しみから癒されることはないのではと感じていました。感じるだけで明確にことばでは説明することは出来ませんが。

図書館の佐伯さんはその犠牲者の一人でした。彼女の苦しみはナカタのような者とは違う高尚な苦しみでした。佐伯さんの書き記したノートを星野さんと堤防の土手で火をつけて燃やした時、佐伯さんの苦しみはやっと開放されたのではないかと思います。

それにしても、ナカタは体力がありませんので直ぐに疲れてしまいます。星野さんが塞ぐ石を運んで神社からアパートまで運んでくれました。その石が必要でした。それでその石が動くことを確認出来たので後は星野さんにお任せするしかなかったのです。ナカタは罪を犯しました。その罪は、いくらネコさんたちを助けるためだといっても許されるものではありません。

でもこれは言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、ネコさんと話が出来るナカタしかその役は務めることは出来なかったと思います。

ナカタはカフカ君のことは全く知りませんでした。もちろんカフカ君もナカタのことなど知らなかったと思います。でもカフカ君とは現実の世界でこそ会ってはいないだけで、私たちはあの「海辺のカフカ」の絵の中で何度も何度も会っていたのでした。カフカ君とは会っていなくとも親友のような気を抱いていました。ナカタには友達が一人もいませんでした。ネコさんたちは友達でした。カフカ君には迷惑かもしれませんが、カフカ君とナカタは一心同体のようなものだと思います。カフカ君の代わりにあのジョニーウォーカーを殺す大役はナカタにしか出来なかったのです。

ナカタが死んだ後で白いものが口から出て来て星野さんは、その白いものと戦ってくれました。その白いものは石から入り口を塞がれて居場所がなくなってしまったのです。星野さんは戦いに勝利して粉々にしてくれました。

入り口は閉められたので、もう大丈夫です。

みなさんもナカタに感謝して下さいと言いたい所ですが、白いものをやっつけたのは星野さんでした。ナカタは何も出来ませんでした。星野さんのおかげで入り口は閉じられたのです。あのパンドラの箱を連想される方もおられると思いますが、ナカタにはそこまでは分かりません。

死んだのは、佐伯さん、ジョニーウォーカー、そしてナカタの3人です。もう十分生きてきた3人です。お若い皆さんにはこれから頑張って突き進んでもらいたいと思います。

図書館のおおしまさんも性のことではこれからも悩みは尽きないとは思いますが、これからはおおしまさんたちのような方を認めるような時代へと変わっていくことでしょう。

カフカ君のお姉さんのさくらさん。カフカ君が困った時には、さくらさんが助けてくれるでしょう。でもあそこの手伝いはだめだとナカタは思います。

星野さんもナカタと会って変わったと言ってくれました。お元気で星野さん。星野さんがいなかったらこの物語は未完のままだったと思います。

そして、最強の15歳のカフカ君は、カラスさんもいますし、これから大きく羽ばたいてくれると思います。佐伯さんのことは記憶の中にしっかりと刻まれました。

それから、皆さん、ナカタの話に付き合って頂き感謝致します。皆さんのご健康とご多幸をお祈り致します。

ナカタは少しばかり疲れてきました。少しばかり休みたいと思います。

それでは、おやすみなさい。the rest is silence.

海辺のカフカ

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竹 慎一郎

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