忌日 1962年3月26日|室生犀星 没後63年
「ふるさとは遠きにありて思うもの」―室生犀星の名言に学ぶ生き方の哲学
人生・孤独・故郷への深い洞察
詩人・小説家 室生犀星(1889〜1962)の言葉と生涯を徹底解説
はじめに――3月26日、犀星忌に寄せて
3月26日は、詩人・小説家である室生犀星の命日、いわゆる「犀星忌」にあたります。 1962年(昭和37年)のこの日、犀星は72年の生涯に幕を下ろしました。 半世紀以上が経った今もなお、彼の言葉は私たちの胸に鋭く、また静かに響きつづけています。
「ふるさとは、遠きにありて思うもの」――この一節を耳にしたことのない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。 しかしこの言葉が、私生児として生まれ、養子に出され、貧困と孤独の中で文学を磨き上げた男の、真摯な魂の叫びであると知ったとき、その重みはまったく変わってきます。
本記事では、室生犀星の生涯を紐解きながら、今日の「名言」として紹介された10の言葉のひとつひとつを丁寧に読み解いていきます。 生き方・孤独・お金・死・そして朝や雨への感受性まで――犀星の哲学は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。
室生犀星の生涯――孤独が育んだ抒情の世界
出生と養子の日々
室生犀星(本名:室生照道)は、1889年(明治22年)8月1日、石川県金沢市に生まれました。 しかし彼は、生まれてすぐに他家に預けられます。実母の消息を生涯知ることなく、養母のもとで育った犀星の幼少期は、決して温かいものではありませんでした。
7歳のとき、真言宗の寺の住職・室生真乗の養嗣子となり「室生」の姓を名乗ることになります。 高等小学校を中退し、12歳から金沢地方裁判所の給仕として働きはじめた少年は、そこで出会った上司に俳句の手ほどきを受け、やがて詩へと情熱を傾けていきます。
上京と貧困、そして詩の開花
20歳のとき、詩人を志して単身上京しますが、生活苦から帰郷と上京を繰り返す日々が続きます。 それでも彼は書きつづけました。北原白秋の雑誌『朱欒(ザムボア)』への掲載を機に頭角を現し、その後、萩原朔太郎と生涯の友情を結びます。
1918年に刊行した詩集『愛の詩集』と『抒情小曲集』は大正詩壇に新風を吹き込み、近代抒情詩の一頂点として高く評価されます。 特に「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の詩句を含む「小景異情」は、故郷への愛憎と孤独を歌い上げた傑作として、現在も広く親しまれています。
小説家への転身と代表作
1919年に自伝的小説「幼年時代」「性に眼覚める頃」を発表し、一躍小説家としても名を馳せます。 1934年の「あにいもうと」では野性的な人間の生を描いて文芸懇話会賞を受賞。 戦後も衰えることなく、1956年の長編『杏っ子』で読売文学賞を受賞し、晩年まで創作への情熱を燃やし続けました。
1959年には長年連れ添った妻・とみ子を先に見送り、肺がんと闘いながらも亡くなる前月まで作品を発表し続けた犀星。 彼の遺骸は、こよなく愛した故郷・金沢の地に葬られました。
室生犀星 生涯年表
| 西暦(元号) | 年齢 | 主なできごと |
|---|---|---|
| 1889年(明治22年) | 0歳 | 石川県金沢市に生まれる。生後まもなく養子に出される |
| 1901年(明治34年) | 12歳 | 高等小学校を中退。金沢地方裁判所の給仕として働き始め、俳句に傾倒 |
| 1910年(明治43年) | 20歳 | 詩人を志して初めて上京。生活苦のため帰郷と上京を繰り返す |
| 1913年(大正2年) | 23歳 | 北原白秋の雑誌『朱欒』に詩が連載され注目される。萩原朔太郎と交友開始 |
| 1916年(大正5年) | 26歳 | 萩原朔太郎・山村暮鳥らと詩誌「感情」を創刊 |
| 1918年(大正7年) | 28歳 | 詩集『愛の詩集』『抒情小曲集』刊行。大正詩壇に新風を吹き込む |
| 1919年(大正8年) | 29歳 | 自伝的小説「幼年時代」「性に眼覚める頃」を中央公論に発表し小説家として認められる |
| 1934年(昭和9年) | 44歳 | 「あにいもうと」発表。第1回文芸懇話会賞受賞 |
| 1956年(昭和31年) | 66歳 | 長編小説『杏っ子』を東京新聞夕刊に連載開始。読売文学賞受賞 |
| 1959年(昭和34年) | 69歳 | 妻・とみ子死去。野間文芸賞受賞(『かげろふの日記遺文』) |
| 1962年(昭和37年) | 72歳 | 3月26日、肺がんにより永眠。犀星忌 |
室生犀星の名言を読み解く(前半)
①「ふるさとは、遠きにありて思うもの、そして悲しくうたうもの」
犀星の詩の中で最もよく知られた一節です。 大志を抱いて上京したものの、夢はなかなか叶わず、極貧の放浪生活を余儀なくされた青年が、故郷・金沢を思って詠んだ詩です。
ここで言う「悲しくうたう」は、単なる望郷の念ではありません。 故郷を愛しながらも「帰るところにあるまじや(帰れる場所ではない)」と続くこの詩は、愛憎が入り混じった複雑な感情を表しています。 故郷とは、近くにいると息苦しく、遠くにいると切ない――その矛盾した心理を、これほど鮮やかに表現した言葉は他にないでしょう。
現代の私たちも、故郷から離れて暮らす人ならば、この言葉の温度感を身体で理解できるはずです。 距離があってこそ見えてくるものがある、という普遍的な真実がここには宿っています。
②「今日は、海老のように悲しい」
一見、奇妙で不思議な表現です。「海老のように悲しい」とは、どういう意味でしょうか。 腰が曲がり、赤く茹で上がった海老の姿に、疲れ果てた自分自身の姿を重ねたのでしょうか。 あるいは、甲羅の中に閉じこもるようにして悲しみを抱えている様子を表現したのかもしれません。
犀星の言葉の魅力のひとつは、こうした独特の比喩表現にあります。 感情を直接的に語るのではなく、意外な生き物や自然に例えることで、読む者の想像力を刺激します。 「悲しい」とひと言いうより、ずっと深い何かが、この短い文には詰まっているのです。
③「もし平静に死にたかったら、人間は有名にならないほうがよい」
生涯にわたって名声と格闘し続けた犀星らしい、含蓄のある言葉です。 晩年に読売文学賞・野間文芸賞など多くの賞を受け、日本芸術院会員にもなった犀星は、名声の重さと苦しさを誰よりも知っていた人物でした。
有名になれば、批判にさらされ、世間の期待を背負い、私的な感情さえも公のものになっていきます。 死の床に「平静」でいたいと願うなら、名声を求めない静かな生き方のほうがよいのかもしれない――そう言い切る犀星の言葉には、名声の代償を骨身に染みて知る者だけが語れる凄みがあります。
現代のSNS時代において、「いいね」や「フォロワー数」を求めて自己をさらけ出す人々に、この言葉は一つの問いかけを投げかけているようにも思えます。
④「他人を正視しない目は、卑怯だ」
この言葉は、犀星の人間観察の鋭さを如実に示しています。 目は、その人の内面を映す鏡――という考え方は古今東西に存在しますが、犀星はそれをふたつの極として鋭く描いています。
「正視しない目」は逃げの姿勢であり、自分の気持ちや考えを相手に向き合わせまいとする卑怯さです。 一方で「わざとらしい凝視」は、演技であり、相手を圧倒しようとする虚偽の表れです。 どちらも「本物の視線」ではない。人間と真剣に向き合うことを、犀星は常に求めていたのでしょう。
孤独な幼少期の中で、多くの人の目を見て育った犀星にとって、「目」の語る真実は何よりも雄弁だったのかもしれません。


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